鯛焼き

先日、京成船橋駅の階段を駅前通り側に降りると、道路の向かいに新しく開店した鯛焼き屋が目に入った。よく見ると看板には天然鯛焼きの文字がある。十人ほどの客が並んでいて店頭を塞ぎ見にくいが、人の間から中を覗くと、「ああ、やっぱりっそうか天然だ!」一個づつ焼いている。ご存知ない方も多いと思うので説明すると、鯛焼きにも天然と養殖物がある。天然物は焼き型が一つで、一個一個返しながらていねいに焼く。養殖物は焼き型が上下に三個並んでいて、同時に三つ焼けるので早い。でも鯛焼き好きの間ではこの焼き型は邪道とされ嫌う。同じ材料を使っても微妙に味の差が出るというのだ。実際には手間をかけるかどうかで、労力を惜しまないことが重要である。

でも天然鯛焼きを焼いている店は今では意外と少ない。私も街で鯛焼き屋を見つけると必ずチェックするが、ほとんどの店が養殖鯛焼きだ。また天然鯛焼きは店それぞれにタイの模様のデザインが微妙に異なる。尾が真直ぐだったり、下に垂れていたりする。焼き型もその店のオーダーで作るので、店独自のオリジナルだという。以前全国を旅して、天然物を探し歩いている人のことを聞いた事がある。その人はさらに天然鯛焼きの魚拓までわざわざ作り、200以上集めたという。「鯛焼きの魚拓ねえ、こういう発想が新たな文化を生むのではないか」私はこの人に話を耳にしたとき、そのこだわりの面白さに感心したが、そこまで鯛焼きが好きじゃないので、真似することはしない。

でも最近の鯛焼きには中身にアンコだけでなくいろいろ変わった食材が入っている。カスタードクリーム、チーズ、チョコレートはまだ良いとして、マヨネーズやケッチャップの和え物などが入ると如何なものかとも思う。でも私は鯛焼きよりも今川焼きとよばれた、太鼓焼きになじみがある。子供の頃は鯛焼きを殆んど目にしなかったので、たぶん太鼓焼きにの方が歴史が長いのではないか?たかが鯛焼き、されど鯛焼きである。日常に散在している平凡な物に着目し、自分なりに能書きたれるのも、老後の暇つぶしには金のかからない良い趣味だと思う。

写真ですが私の指先にあるのは、父が集めていた助六の昔のおもちゃのミニチュア。紐がついていて幼児が引きずって歩いた。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

九官鳥

家業が三越の呉服部の職先だった関係で、私は頻繁に母親に連れられて日本橋三越にかよっていた。そのため三越本店は子供の頃からの私の遊び場でもあったのである。当時三越の売り場構成は記憶を呼び起こすと、地下の食品、一階の服飾雑貨から上の階に順に婦人服、紳士服、呉服、家具や電気製品、書籍や大食堂、美術工芸、貴金属などの配置になっていたと思う。母が納品や依頼品の事務処理をしている2時間、ひまつぶしに各売り場を見て回る。そしてその中でも特に気に入っていたのが七階の熱帯魚売り場と、屋上の出入り口近くに仮設されていたペット売り場である。そこではまだ珍しかった海外からの輸入したての小鳥やインコなどを展示販売していた。

また三越のある室町から日本橋を渡ったすぐ向かいには、白木屋というデパートもあって三越に飽きると、ここにもよく遊びに行った。白木屋も階毎の売り場構成はだいたい三越と同じ、ただし屋上のペット売り場には赤いオウムがいた。このオウムがまた良くしゃべるので面白い。「オタケさん」と話しかけると「こんばんは」とかとんちんかんなことを言い返してくる。しかしあるとき姉がどこかで聞いたのか「白木屋のオウムに誰かがいたずらでミツコシと教え続けたら、ミツコシ、ミツコシとしゃべるようになって、そのオウム業者に返品されたらしい。教えたのはあんたじゃないよね?」と冗談に言ったので私は否定したが、悪戯心がわいてきた。

さっそく翌週、三越に行くとペット売り場に駆け上がったが三越のペット売り場にはオウムはいない。でも九官鳥がいたはずだ・・・!「しまった先を越されたか?」この間まで無かった張り紙が篭の前に「九官鳥に言葉を教えないでください」の文字が。でも店員の目を盗んでは「シロキヤ、シロキヤ」と教え続けたが残念ながら、この九官鳥が白木屋としゃべることはなかった・・・。白木屋といえばなんと言っても有名なのが1932年のビル火災である。母親の話によると火災で屋上に逃げた女性が地上に非難する際に、下から見ていた野次馬にはやし立てられ手を離し多くの女性が墜落死したという。それから日本では女性が和服でも下着をつけるようになったとか。

写真の絵は自宅にある昭和29年に株式会社三越創業50周年の記念に発行された、三越のあゆみという記念誌に挿入されていたチラシである。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

鉄砲

皆さんもご存知のように鉄砲とはフグの別名でもある。当たれば死ぬのでこの名前がついたという。昔はフグの部位のどこに毒があるかなど、はっきりとは分からなかったらしい。きちんとした料理法も確立されてなく、素人も調理していたのでフグを食べて死んだ人は多かったようだ。下手な易者と同じで「当たるも八卦、当たらぬも八卦」食べて見ないと分からない。これはフグそのものは最初毒は持ってない。毒のあるプランクトンを食べ内臓に溜め込むという。だから個体差がでる。ちなみに養殖のトラフグには毒がないそうだ。トラフグの水揚げは下関が多いが、瀬戸内海や北九州でもあがる。関東ではあまり捕獲されないので、東京にはふぐ料理の専門店は関西に比べて少ない。

しかし最近では関東でもとらふぐ亭など比較的値段の安い専門店もできてきた。でも何と言ってもフグは関西が本場だ。鉄砲と呼び庶民でもよく口にする。仕事で神戸出張に出かけると、懇意にしているメーカーさんに晩飯は鉄砲いきますか?と誘われたが最初はなんのことか分からなかった。むかし神戸の三宮にあったフグ屋は美味かった。専門店なのでフグの旬の冬場だけのオープンで、店名は松風といったかいった。テッサ(鉄砲のさしみ)はどこでも味はあまり変わりないが。ここのテッチリ(鉄砲のちり鍋)はフグの肝を鍋に入れる。すると肝から油が浮き出てスープに濃く溶け込む。肝を入れないさっぱりした関東のフグチリとは全く別物だ。当時は食品衛生法がフグに関しては関東と関西では違い、関西では肝や白子も食べても良いと聞いたが、本当かどうか定かではない。

それとこの店ではフグの肝刺しも少量出したが、これも非常に美味だった。ただし他の人の分まで食べるなと同伴者に冗談半分に注意された。むかし他の人の分までこれを食べて死んだ歌舞伎役者もいて、話題になったこともある。この店では裏で猫を飼っていて、毒見させているのでは?とか噂してたがその後しばらくして、繁盛していたこの店が突然閉店した。もしかして・・・?フグは食べたし命は惜しい。フグは内臓の白子や肝が美味い。最近では養殖のトラフグも多く出回っているようだが、毒のない養殖のフグなど鉄砲でなく、子供のおもちゃの水鉄砲。当たるかどうか多少気にしながら口にするので、うまさも増すのではないかと思った?

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

キセル

喫煙者が減り続ける昨今キセルでたばこを吸う人はさらに見かけない。戦後しばらくは私の父親もキセルでタバコ吸っていたが、いつのまにか紙巻タバコに変わっていた。当時紙巻タバコは値段も高く贅沢品だったようである。そこで庶民はタバコはキセルで吸っていたがキセルは掃除が大変だ。何回か吸っているとすぐ管にヤニが詰まる。すると紙でコヨリを作り口元から管に通して掃除をするが、これが以外に難しい。そのころに街中でたまに見かけたのがキセル管の掃除屋である。手押し車に蒸気の窯を積みこみ、機関車のようなポーという音と蒸気を出しながらやってくる。子供には用がないので作業手順など詳しくは分からないが、なにか不思議な感じがして遠くから眺めていた記憶がある。

その後しばらくして紙巻タバコの普及と共に消えていったが、たぶん60歳以下の人は全く知らないと思う。紙巻タバコも今ほど種類は多く無いが、いくつかの銘柄があった。フィルタータバコがまだ無い時代で紙巻タバコは全部両切り(ゴールデンバット、ひかり、いこい、ピース、あさひ)など全部は知らぬが、幼児の頃から時々近所のタバコ屋に使いに出されたのでよく憶えている。今では想像もできないが、小さな子供が煙草屋に行き、下から見上げて「おばさん、いこい1つ」、といってタバコを買って来るのである。「落とさないでちゃんと持って帰るんだよ」というおばさんの声を背中に、駆けて帰ってた時代が懐かしくもある。

今は喫煙にはいろいろ規制がある。二十歳にならないとタバコ1箱も買うことが出来ない。二十歳前後の人は身分証明が必要だそうだ。若い頃は飲酒や喫煙にも社会は甘かった。とろあえず法律はあったが、しっかりと遵守されることはほとんど無いと言っていい。中学を卒業し社会人ともなれば、とりあえず大人としてあつかわれ宴会の席でも酒を飲みタバコを吸っていた。「今晩お得意さんの接待でマージャンをやるんだけど面子が足りない、負けた金は俺が払うからつきあってくれ」などと先日まで中学で不良だった、知り合いに誘われたことがあった。半年後のその大人びた言動にびっくりしたことがある。

写真は父の作った刺繍の煙草入れであるが、両切り用なので丈は短い。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

寿司屋の隠語

接客業には通常従業員同士で使う隠語があるところが多い。客には知られたくない言葉や従業員同士にしか分からない商売上の言葉などいろいろだ。その中でも一番身近に感じるのは「寿司屋」である。寿司屋では生姜(ガリ)ご飯(シャリ)胡瓜(カッパ)イカの足(ゲソ)などいろいろあるが、特に客が使ってはいけない言葉にお茶の(アガリ)お会計の(オアイソウ)などがある。まだ食事中の客が、お茶のお代わりを従業員に「お姉さん、上がり持ってきて」などと頼んでいることもあるが、アガリとはこれでお終いという意味である。同様にオアイソウという言葉も店側が「愛想が無くてすいません」という意味で客が使うと、おかしなことになる。だだお勘定といえばいいのではないか。

ときどき、知ったかぶりをして寿司屋の隠語を連発している人を見かけるが、「普通に言えば良いのに」と思うこともある。寿司屋の隠語を通なふりをしてなんでも真似すると、逆に無粋になることもある。寿司屋に隠語が多いのは寿司を手で握るため、いつも手を清潔に保つ必要がある。手が汚れるので雑用が出来ない。そのために他の従業員に、言葉で指示することが多いからではないのかと想像する。私は寿司屋に行っても隠語はあまり使わない。でもカッパやゲソなど普段使いの言葉になったものある。こちらが「お茶ください」と言うと、板さんが奥に「上がり一丁」と声をかける。「ご飯少なめね」「はいシャリ少なめ」とこの言葉の掛けあいが良い。

そのために店側がわざわざ隠語を使い、客の言葉と区別しているのだから、その中に割って入ることもないのではないか。客が「シャリ少なめにしてね」「はいシャリ少な目」ではなんか粋じゃないと思うがいかがでしょうか。さいきん回転寿司に入るとどんどんデジタル化が進んでいる。オーダーのほとんどがタッチパネルである。タッチパネルの使用法が分からないと寿司も食えないのかと思うが、時代だからと割り切るしかない。近い将来寿司職人も減り寿司屋の隠語も不要になり、握りも魚ではなく肉が主体になるかもしれない。和食が世界に浸透すると魚の奪い合いになり、日本人の食卓からなくなって行くのではと心配になる。

写真は自作のお皿、寿司は陶器の皿でも合うと思う。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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