脱脂粉乳

今の若い人は知らない方も多いと思うが、かつてランチで食べる弁当で日の丸弁当と一般に称される弁当があった。四角いアルマイト製の弁当箱に白いご飯を詰めこみ、その中央に赤い梅干しを一個のせたシンプルな弁当である。日本国旗の日の丸のようなルックスからその名がついた。我々団塊世代が小学生の頃、私が通っていた市川市八幡小学校ではまだ完全給食ではなかった。(完全給食とはパンか御飯の主食に、オカズの野菜や魚、牛乳、デザートなどの付いた今で言う普通の給食)当時の給食は昼食時間に汁物一品が学校から支給されるだけ、例えばけんちん汁、カレー汁、味噌汁、それに今日のテーマの脱脂粉乳である。

そのため児童は毎日自宅からお弁当を持って学校に来るが、このオカズの善し悪しで貧富の差が見えてしまう。我が家の前の傾いたシモタ屋には、同じクラスの徳ちゃんという名の男子が住んでいた。徳ちゃんの家は子供が多く貧しかったので、お弁当にはいつもオカズがない。そこで学校給食の汁物をオカズにするわけだ。けんちん汁やカレー汁の時はオカズになるのでまだ良い。しかし三日に一度のペースで登場する脱脂粉乳の時は、不味いミルクをオカズにご飯を食べる。せめて梅干し一個の「日の丸弁当」であればと思うが、徳ちゃんはいつもニコニコしながら脱脂粉乳をオカズにご飯を食べていた。私なら恥ずかしいから学校に行かないとダダをこねただろうと思う。

実はこの脱脂粉乳は牛乳の脂肪分を抜いたもので、アメリカでは豚の餌だという。戦後しばらくは食糧難で日本の児童の多くは栄養失調状態であった。見かねたユニセフがこれを譲り受け、日本に送り子供たちに給食として飲ませたのだという。「味は非常にまずい!」何でもむさぼる私もこれには閉口した。クラスの女児の中には一口も飲めない子もいる。でも先生に残すなと強要されるとベソをかいた。そこでどうしても脱脂粉乳の時はだけは給食が多く残る。給食室に残ったままの鍋は戻せないので、ここで徳ちゃんの出番がくる。彼は3杯もお代わりする。でもまだ残るので先生が半強制的に「誰かもっと飲め!」という。結局お鉢は私のところにも回ってきて、渋々お代わりすることになる。

当時力仕事の日雇労働者はニコヨンと呼ばれていた。一日の労賃が240円だったのでこの名がついたという。そのニコヨンの弁当が鮭弁当か日の丸弁当であった。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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