私が小学校5年生の春、父親がやっと結核で2年間の長い闘病生活のあと自宅に戻ってきた。元気になった父親は体力を回復させるために、より食べ物に執着するようになった。「なにか旨い食べ物はないか」と父親は私を連れ、好きな中華料理屋探訪をすることになる。学校が昼までの短縮授業でお弁当のない日、通常午後母親は納品で自宅にいない。そこで父親が私を自転車の後ろに乗せて二人で外食する。行き先は自転車で行ける範囲の市内の中華料理屋だ。よく行ったのが市川真間駅近くの50番、平田郵便局ななめ前の「万来飯店」(ここは当時、巨人に入団したての王貞治選手のおじさんの店で人気があった)それに本八幡駅近くの一番街にあった夕梅である。
「チャーハンは万来飯店が旨い!」と父親はいう。ここは中国人店主がつくる市内唯一の本格中華料理店だった。この店ではチャーハンには普通のチャーハンと五目チャーハンの二種類があって、具沢山の五目チャーハンにはほぐした缶詰の蟹がはいっていた。私はほのかに蟹の香りがして風味が良いと感じた。すると「違うんだよな?」と父が首をかしげる。「ええ?」と戸惑う私に、[違うんだよ、これじゃない!」。「いまのチャーハンはどの店に行っても、むかし食べたチャーハンと違って、あの独特の香りがない」そして父が「あの香りは麻薬だったのかもしれない」と冗談に続けた・・・。
それからその香りを求めて横浜の中華街にも遠路、家族で時々足を運んだ。しかし当時から有名だった聘珍楼、萬珍楼など、どこの店のチャーハンもあの香りはしないと言っていた。その父親も結局20年以上前になくなったが、中華料理の巨匠である陳健一さんがテレビで、以前「親父の作ってくれたチャーハンは香りがあって旨かった!あのチャーハンの味は今だに忘れない」といっていたが、もしかして?と思ったことがある。たかがチャーハン、されどチャーハンである。でも昔のチャーハンは普通の店でもちゃんと型に取り、グリーンピースが色添えにトッピングされていた。でもあのグリーンピース、どうして今のチャーハンから消えたのであろうか?
チャーハンは好きで今でも時々たべる。でも駅前の日高屋のチャーハンでは安いが、能書きのたれようがない。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)