チョコレート

敗戦後、日本に進駐してきたアメリカ人兵士はジープに乗り観光気分で街中に繰り出す。すると腹をすかせた子供達が手を出し寄ってくるので、面白がってチョコレートをばら撒いていたことがある。善意のためと肯定する気持ちもあるが、飢えた餓鬼に食料を恵んでやる程度の事だったと思う。「ギブミー、チョコレート」我々の世代以上の子供が、最初に憶えた英語がこれであると言う人も多いと思う。しかし戦後の混乱も収束し始めると、カカオ豆の輸入が始まったのか日本でも明治や森永製菓が板チョコを販売し始める。板チョコは大小あり、大きいほうが100円で当時としては高かった。でもこの板チョコの値段60年ほど経った今でも、ほとんど変わらないのは脅威である。

「わー、凄いスクーターだね!」始めて見る買ったばかりのスクーターはピカピカに輝いていた。近所の勝ちゃんの家では、このスクーターを入れるために先日わざわざ玄関を直し、車庫のように大きく改造したばかりだ。そのころスクーターは今のレクサスのような高級車で、庶民が簡単に買える金額ではなっかったと思う。そこへ夕方になると叔父さんが、スクーターに乗って颯爽と帰ってくる。いつか俺もこんなスクーターに乗ってみたいと憧れの眼差しで眺めていた。ところがそれから暫くすると突然の訃報が舞い込む!勝ちゃんのお父さんがスクーターで千葉街道を走行中、進駐軍のジープにはねられて死んだというだ。

数日後に家族の悲しみの中、自宅でひっそりと葬儀が開かれた。するとそこへ突然ジープに乗り軍服を着た米兵が、大きな花束を抱えてお見舞いにやってきた。私はこの時に初めてアメリカ人を間近で見たが、印象は同じ人間とは思えず、大きくて鼻が高い赤ら顔の異星人という印象をもった。彼らは通訳を通じてなにか話をしていたが意味も分からず、ただ遠巻きに眺めていた。(当時の事で一般庶民が進駐軍に何か言えるはずもない)原因究明も行われずに、わずかなお見舞金で泣き寝入りだったと思う。その後お父さんを失った勝ちゃんの家で何があったか分からないが、三ヶ月もたつと美容師で美人のおばさんは、4人の子供達を連れてどこかに引っ越して行った。

今はチョコレートなど星の数ほどあり、孫達は見向きもしない。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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