水飴

先日私の子供のころ砂糖が貴重だったという話は書いたが、そのかわり当時砂糖の代用品として重宝されていたのが水飴である。水飴はモチ米から作るという。作り方などは詳しく知らないので、興味のある方はネットなどで検索して欲しい。その水飴だがまだテレビのない頃、子供達の楽しみは毎日のように街にやって来る紙芝居である。小学校から帰り3時ごろになると、紙芝居のおじさんが自転車の荷台に大きな箱をくくりつけ、いつもの場所にやってくる。すると子供達に知らせるために「カチ、カチ」と拍子木を打ち町内をまわっていく。「おかあちゃん10円!」と宿題なども即中止し小銭を握り外に飛び出だした。

そしてこの時代、紙芝居屋での駄菓子の一番人気は水飴である。持ってきた10円をおじさんに手渡すと、半分に折った割り箸しにドロドロした水飴を絡め取り手渡された・・・。受け取ったその水飴を二本の割り箸で器用にかき回すと、空気を含んだ水飴は徐々に白く濁ってくる。この色の変化が面白いので誰もがこの作業をしてから水飴を口に放り込んでいた。(また女の子には丸い薄焼きフワフワセンベイに両側から水飴を挟み、半分に割ったセンベイを耳のように付けるウサギが手渡された)そのほか紙芝居屋のメニューには酢昆布、イカの加工品、ハマグリの貝に入った食紅で真っ赤なニッキ飴などで種類は多くない。するとどうしても通常は水飴を頼むことになる。

戦前紙芝居の定番といえば髑髏仮面の黄金バットであるが、我々の子供の頃はすでに黄金バットは峠を越えていたと思う。私の記憶にあるのは時代劇で悪代官が庶民を苦しめたあげく、殿様に処罰される水戸黄門スタイルの物語だった。紙芝居は基本筋書きが曖昧なのでおじさんの口上が全てだ。いかに臨場感あふれる場面に見せるかはおじさんの語り口次第!そのため当然同じ紙芝居屋でも人気度に優劣が付く。ある時この街に突然見慣れない紙芝居屋が新規参入して来た。若くイケメンのこの紙芝居屋が気に入ったので、いつもの紙芝居屋を子供たちでボイコットした。「さあ大変!」事情を察した古株は次の日、新規のイケメン紙芝居の仕事中に乗り込んできた。そして「お前、鑑札見せろとつめよった!」どうもイケメンは無許可だったようで、それから二度と現れる事はなっかった。戦後暫くは仕事も簡単には見つからず紙芝居屋も憧れの職業だったのか?

わが家でも今は大型スクリーンの鮮明な画面で臨場感あふれるテレビの画像を見ている。でも4k、8kテレビの登場でまだまだ映像は変化し続ける。水飴を口に含み紙芝居を見入ってた頃との時代の差異に驚く。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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