内房
「わー、大変だ!窓を閉めろ!」の声に慌てて一斉に窓のフックをつかんで下ろすも、あっという間に煙が車内に充満する。私は咳き込みながらハンカチで口を塞いだ・・・。もう六十年以上前の話、当時小学校では毎年夏休みになると、まだ戦前の富国強兵の名残か、国民皆泳児童鍛錬のためなのか、盛んに臨海学校と称する子供達の水泳訓練が開催されていた。学校ごとに先生が児童を引率し鋸山の先の保田、富浦、岩井などの海水浴場に2,3日合宿する。まだ千葉駅から先の鉄道は電化されておらず列車は蒸気機関車のみであり、暑い真夏でも冷房設備もなく窓は全てが開放されていた。汽車が木更津を過ぎ山間部に入っていくと何度かトンネルを通過するが、鋸山意外はトンネルの距離が短く閉めるまもなくトンネルを抜け出た。
煙を手で払いながらも視界が明るくなると、汽車はすぐに目的地保田駅のホームに滑り込んだ。当時内房の海岸はどこも海水浴客で賑わい、町は活気ににあふれていた。旅館だけでは増大する海水浴客に対応出来ず、普通の民家の多くが夏場だけ民宿を営んでいた。しかし時は過ぎ2、30年も経つとこれら鋸南町の状況は一変する。小学校の臨海学校もなくなり、若い人も日焼けを嫌って海などで海水浴を楽しむことも減っていった。町はかつての賑わいも消え、若い人達は首都圏に仕事に出て老人だけが住まう町へと変貌する・・・。そしてこの過疎の町を今年台風が二回も直撃した。半世紀以上も手入れがされない家々は強風に煽られて瓦屋根が飛び各戸が壊滅的打撃を受ける。年老いた住民達は復興に向けての気力もなく、家を捨てる人も多くいると聞く。
そして今千葉県は不幸なことに、あの無能な森田健作が知事に居座る。特に台風19号では県の被害状況よりも自宅のほうが心配で、台風のさ中に職務を放棄し公用車で自宅の確認に向かったという。これまで千葉県は余り災害もなく、一年に百日しか登庁しないというお粗末な知事でも、その能力が問われることもなかった。日本はかつて経済は一流、政治は三流と言われていた。政治家などお飾りのタレント議員でも務まったが、経済が衰退してきた今日では政治は三流でいいなどと無関心でいる余裕などない。芸能タレント議員など一掃し、世の中のことを真剣に考え行動する政治家を選ぶ時代へと変貌している。くれぐれも安易に名誉職としてだけの議員など、選出しないことをお互いに心がけたいものである。
そういえば数年前千葉県の美術界で会員に推挙された私は、森田健作に名前を呼ばれるはずであった。でも彼はプライベートで忙しいらしく、代理で課長が出席していた。ところがこの課長!偶然にも私の親友の弟でした。
(勝田陶人舎・冨岡伸一)