駅まで通う道に面した「花のワルツ」という名の花屋が近年店を閉めた。原因は分からないが、たぶん経営不振によるものであろうか?毎日店の前を通るが別に客足が減った感じもなかった。でも周りの人に聞くと何処の街でも花屋の閉店が多いらしい。花は生き物なので切花にすればじきに枯れる。コンスタントに売れなければ当然廃棄する量も多くなり採算が取れない。そこで通常花屋は仕入れ値よりもかなり高値で花を売るので、完売できれば花屋は儲かる商売だ。しかし暮らしに余裕がなくなってきた昨今、生花を飾る風習も希薄になってきた。我が家の仏壇も以前は生花を切らさなかったが、知らぬ間に造花になっている。私も還暦の頃までは趣味のダンスなど祝いの席に花束を抱えて出席したが、ジジイが花屋で花束の見立てなど洒落にもならないと思っていた。
「冨岡さん、明日お願いね!」大学生の頃、姉が習ってた池の坊華道の先生と知り合った縁で、私も華道を習い始めことがある。たがこの世界は男性が非常に少ない。まして車を運転していたので荷物運びには最適だった。そこで先生の華展にたびたび駆り出された。当時華道教師の免状は女子の嫁入り支度の一つで習う女性が大勢いた。ところがそのご伝統的な日本家屋の新築減少で、床の間などを作らない洋式の住宅が増える。すると次に華道に代わってフラワーアレンジメントの一大ブームがやってきた。生花は狭い床の間から皆の視線をあびるテーブルの中央へとその活躍の舞台を移した。「でも花の命は短い!」気がつくとそのフラワーアレンジも今では殆んど話題にも上らない。
最近彼岸の時期にはコンビ二でも生花を見かける!昨日霊園の近くのコンビニに立ち寄ったら、お墓に供える花が一対で販売していた。「あなたもこんな所まで下りてきたのか」花好きの私は心の中で花に問いかけた。いよいよ生花の需要も盆、正月と彼岸の時期物となってしまうのか?これでは確かに花屋の店舗は必要ない。ところが最近葬儀に出席すると、以前には余り見られなかった、全面生花で飾られた祭壇がやたらと多い。これってひょっとすると、花業界の生き残り策かもしれないと思う。また近年花の栽培農家では食用の花の開発も盛んらしい。花のサラダなど需要が少しづつ増えてきているという。花を散らしたサラダは確かに綺麗であるが、愛でる花から食べるへと時代は進んでいくとも思えない?
今コロナの影響で歓送迎会、卒入学式の自粛で花の需要が全く途絶えたという。そのため大量の花が廃棄されている。これでは花業界も死活問題で廃業倒産も多そうだ。(勝田陶人舎・冨岡伸一)
「花屋」と聞いて、日本の最初の花売りの商売はいつ・どこで始まったのか?定かではないが、平安時代中期頃から戦前までは、京都では「白川女」と呼ばれる花の行商人がいたそうだ。最初は貴族が彼女達に御所の帝へ花を届けさていたが、後には庶民にまで広まった。その白川女の姿は、紺もめんの小袖に御所染の細帯をしめ、紺がすりの三幅前かけ、着物の裾を両脇にからげて前かけを前後にのぞかせている。着物の下は純白な下着と裾よけで、手に紺の手甲、脚は白脛巾に白足袋、草鞋ばき、甲当てをつけ、頭と襟には白地手拭、房つきのたすきをゆるやかにかけている。頭には箕(み)をのせて、仏花や榊をいれて「花いりまへんか」と京の町を流して歩いたそうだ。まさに京都の風物詩だったでしょう。着物好きの私には、働く女性の美しさや艶やかさも想像されます。戦後は祭礼等特殊の行事以外には殆んど見ることはないので残念なことです。
国民の経済的格差は縮まるどころか広がりかねない令和の時代、消費税率UP、武漢コロナ、オリンピック延期などのトリプルパンチで、お金だけでなくマインド面でも、皆が生花をお店で買いづらいのは現実のようです。
花好きな家内のおかげで、我が家では「君子蘭のオレンジ」、「椿の白・ピンク・赤」、「黄梅の黄色」そして家庭菜園の「水菜の黄色」と「「スナップエンドウの白」など、屋内・屋外で花々が多彩な色を輝かせてくれています。幸い仏壇のお供え花は自家用で間に合っています。有難いことです。