ポン菓子

第二次世界大戦が終わると、アメリカとソ連の間では資本主義と共産主義のイデオロギー対立により、年々緊張感が高まっていった。そのため核兵器やミサイル開発競争はエスカレートしていき、やがてそれは人工衛星の開発から1961年、ソ連のガガーリンによるポストーク有人衛星の成功へと進んでいった。日本でも敗戦後の少ない予算から、ロケット開発の糸口を探ろうと糸川博士などを中心に、当時ペンシルロケットと呼ばれた小型のロケット発射実験の様子が、ニュースでは時々取り上げられていた・・・。我々が子供の頃は今の子供達と違って、冒険心と好奇心に満ち溢れている。親も子供の日常などには関心が希薄、ほとんど野放し状態なので大人のやる事は直ぐに真似をする。

「こら!あんたたち、こんなもの飛ばして全く危ないわねー、警察に通報するよ」と道を歩いていたオバサンが血相を変えてロケットの燃えカスを拾い、我々のいる空き地へと侵入してきた。ひととおり文句を言うと「まったくしょうがないわねえ!」の言葉を残しオバサンは立ち去っていった・・・。このころ子供達の間では密かにロケット作りがブームになっていて、学校でもロケットの作り方の情報が飛び交う。「よし、俺らもロケット作ろうぜ!」こうして近所のガキどもを集めロケット開発チームがにわか誕生した。まずロケット本体は、アルミ製の鉛筆サックを流用する。そこに当時は駄菓子屋で簡単に手に入った徒競走の合図などに使った鉄砲の火薬を、皆で紙から火薬だけを剥がし取り、燃えやすい筆箱ケースなどのセルロイドの小片と一緒にサックに詰める。

「ピュー、白煙を引いてロケットは勢いよく飛び出す!」制御不可能なので何処に飛んでいくか分からない、荒っぽく蛇行しながら空き地の生垣の塀を抜け、外の道まで飛んでいった。大笑いしながら成功を喜んでいると、突然のオバサンの登場だ・・・!しかしそれからもロケット開発はエスカレートしていく、鉛筆のサックでは飽き足らずもっと長い管に詰めようと、傘の柄の金属部分を切って使うことにしたのだ。「これが拙かった」発射台に置き焚き火を炊いて離れて見ていたが、突然爆発し、飛んできた破片が一部が友だちの腹に刺さった。大事に至らなかったが「やばいよ!」とロケット開発はその後すぐに中止した。

爆発といえばむかし円筒形の鉄の熱い加圧機に米を入れると、爆発音と共に米が10倍に膨らみポップコーンのような「ポン菓子」と呼ばれる不思議な米菓子があった。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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