茶飲み話・町中華

 

最近、町中華が脚光を浴びているという。でもあれだけどこの街にもあった赤ノレンの中華料理屋が一つまた一つと消え、今では殆ど見かけなくなった。昔の赤ノレンの中華料理屋の特徴は、麺類をはじめ焼飯などの御飯もの、餃子やシュウマイとその品数の多いことにある。個々人の雑多な注文を聞き、短時間に料理を裁くその技を、カウンター越しに眺めるのが好きであった。

「何でいまさら町中華!」と思うが、無いとなると探し求めるのが世の常である。私は特にチャーハンにこだわりがある。子供の頃の町中華のチャーハンはちゃんと型にとり、色添えにグリーンピースが何粒かトッピングされていた。きれいに型どられたチャーハンの山をレンゲで崩しながらいただく幸せは、今でも忘れない。

強い火力と重い鉄鍋を振る中華料理は体力勝負である。そのため65歳の壁を超えるとパワーがなくなり、手早さが落ちる。するとそれは味に反映され、客足は遠のきやがて閉店する。町中華はスピードと腕力が命なのだ。失礼な言い方だが女性店主の町中華で美味いと思った店は殆どない。また今どき煩雑で体力勝負な町中華を継ぐ若い人などもいないだろう。

「新潟の田舎から、東京の中華料理屋に15歳で弟子入りした」と自慢げに話していた浅草今戸の「高来」という町中華の店主が50代で過労死してから、もう25年になる。彼は冷房もない小さな店舗で所帯も持たず、働きづめで生涯を閉じた。「おい、冷房ぐらい入れろよ」の問いに、この店で冷房など入れても全く効果なしとの返答であった。でも真夏は汗が滴り、ドンブリに落ちるのを見ると食欲も失せる。

いっぽう最近では町中華の代わりに流行っているのはラーメン店だ。ラーメンは町中華と違い殆ど単品なので、管理がたやすい。また色々料理を覚える必要もなく、短時間で出店できるのも魅力だ。そこで脱サラした若者が一攫千金で出店するが、競争が激しく栄枯盛衰で次々に店が入れ替わる・・・。(確かに昭和の時代を髣髴とさせる町中華が懐かしい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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