あけましておめでとう御座います。本年もよろしくお願いします。新年を向かえまた一つ歳を重ねる。「ふーむ、余命はあと何年あるだろうか?」などと漠然と考えてしまう歳になりました。「いやまだまだ。気を取り直してお互いに前向きにいきましょう」さて新年を向かえると我が家では雑煮のあと二日目には、必ず先祖供養の墓参と、浅草寺への初詣を恒例の行事としている。五世代前から浅草周辺に住みつき浅草寺の氏子であった我が家では、何かにつけて浅草寺に願掛けすることが伝統になっている。浅草の観音様は霊験あらたか!私も物心ついて事あるごとに観音様に願掛けしたが、何時も思いをかなえてくれる。この行為はわが娘へと引き継がれ、昨年私が病で伏した折には急いで観音様のお守りを!と枕元にとどけてくれた。
高齢化社会を向かえ何かと身体を病むことの多い時節、ホームドクターを持つことは非常に大切なことであると思う。それと同時に全般的に宗教心の薄い日本人はいざと言う時、精神的なよりどころとなるホームテンプル(懇意の寺院)を持つことも大事なことであろう。そこでホームテンプルには頻繁に参り、日頃から深い縁を結ぶことが肝心である。馴染になればホームドクターもホームテンプルも対応が違ってくる。神仏も人情、頻繁にやって来る人は可愛いに相違ない?我が家の菩提寺は法然ゆかりの本郷にある浄土宗清林寺であるが、個人的には浄土真宗の親鸞の教えにも傾倒している。彼は加持祈祷(祈りによる願掛け)などは迷信として認めず。宗教者としては異例の立場を貫いた。でも現世の願い事などの願掛け。時にはよいのでは!
参拝では何かと問題になるのが靖国参拝であろうか?私も昨年自分の意思で始めて靖国神社に詣でてみた。久しぶりに訪れたその境内は広々として清浄で、凛と張り詰め霊気を含んだ境内は神々しくさえも感じられた。この靖国神社には硫黄島で玉砕した私の叔父も祭られている。しかし彼の遺骨はもちろん遺品なども全く無く、本当の死亡地さえはっきりとしないらしい。そのため兄であった父親も靖国に詣ることは殆んどなかった。私の父親は大東亜戦争にも出征せず、反軍国主義の立場を維持していたので、軍人が祭られている靖国参拝はたぶん抵抗を感じていたのだと思う。そして今年で戦後75年余、天皇陛下も歴代の首相も公には靖国参拝を控えている。
新年そうそうなんとなく暗い話題となりました。今年アメリカでは中間選挙が行なわれる。かつて日本を太平洋戦争へと導き、原爆投下した民主党ルーズベルト大統領。むかしから民主党政権下では日本はろくなことが無い。頑張れ共和党!(勝田陶人舎・冨岡伸一)