賛否両論あったコロナ禍での東京オリンピックがやっと開催にこぎつけた。無観客の開会式では盛り上がらない気もしたが、私が唯一感動したのは東京の夜を飾った1824機のドローンによる光の演出である。多くの点灯されたドローンが編隊を組み、変幻自在に様々な姿を映し出す様子をみたが、でもなぜ互いにぶつからないのか?とても不思議に思った・・・。これらのドローン・コントロールには手動ではでは及ばないので、新たなテクノロジーによる高速データ処理が行なわれているのであろうと推測した。
アマゾンでは手荷物の配達にドローンを使う研究が進んでいる。でも多くのドローンが飛び交うようになると空中での衝突が問題となる。するとただ空間だけの空に、東西南北と高低差で道を設定することになる。もうじき空飛ぶ自動車も登場するので、あと10年以上すると夜空を見上げれば美しい光の帯が縦横に行きかう様子が、見られるようになるかもしれないのだ。そのとき夕暮れの公園のベンチに腰掛け、幼児だったころの思い出などを回想してみるのも悪くない。
「あれ落ちてこない。せっかくさっき駄菓子屋で買ってきたばかりなのに」この日10円で買った竹トンボを勇んで手のひらで回すと、竹トンボは勢いよく回転し空高く舞い上がった。「すげえ!」と喜んだのもつかの間、隣家の屋根へと消えていく・・・。子供のころ近くの駄菓子屋では、不衛生なオヤツのほか各種遊び道具が売られていた。たとえばビー玉、メンコ、ベーゴマ、剣玉、鳥モチ、虫篭、網、簡単な釣り道具、花火など。
当時はまだドラえもんの漫画すら登場するずっと以前で、タケコプターやドコデモドアの発想すら世の中には存在しなかった。でも最近どこへでも簡単に飛んでいけるタケコプターはドローンという空飛ぶ乗り物で、次々に試作品が生まれている。一家に一台タケコプターの時代はもうすぐくる。すると若い人は自動車免許よりも、これからはドローン操縦免許の収得の方が優先されるかもしれない。自動車免許などは近いうちに、AI運転により自動化され無くなる可能性すらある。
半年前に高齢者講習を受けるために、久しぶりに自動車教習所にいってみた。ところが以前と違って、若い受講者も少なく全く活気を感じられない。賑わっているのが高齢者講習では教習所の明日はない。事実、教習所は経営難で次々に封鎖されている。混雑する教習所で、横柄な教習官にペコペコ頭をさげ履修のハンコもらった時代もなつかしい。
(迷子の、迷子の、おじいちゃん、あなたのお家はどこですか?昔語りもよいが、時代に取り残されると帰り道さえ分からなくなる。勝田陶人舎・冨岡伸一)