私が子供の頃、我が家の隣家の空き地には周辺の家で使用する共同井戸があった。そこでは洗濯や食器洗いなどをする主婦達が集い、井戸端会議の場ともなっていたのだ。まだ食糧難ころで、米の配給など食べ物のことなどが主婦達の主な話題であったと思う。「貧乏人は麦を食え」これは1950年に時の大蔵大臣池田勇人の発言だとされるが、いまこんなこと正直に上から目線で発言したらとんでもないことになる。
「米穀通帳をご存知ですか?」当時米を買うと通帳に記載され、金があっても一家族で決められた量しか購入することが出来なかった。なので食べ盛りの子供が多い家庭は三度の食事にも苦労した。そのころの主婦達の定番衣装は、カスリのモンペに白の割烹着。これで近所の八百屋や魚屋などに、手編みの買い物籠をぶら下げ食材などを買いに出かけた。最近ではビニール袋が有料になると、事前にシッピングバックを持参するようだが、エコを理由にこんなものケチって実際に効果があるのか?はなはだ疑問でもある。
井戸端会議といえば、今は一番先に思い浮かぶのがLINEである。親戚縁者や同窓生などでグループを組み、現況を伝え合う。住んでいる場所は選ばないので非常に便利だと思うが、グループの人数が多いと頻繁に着信音がなるので面倒でもある。しかし常にお互い情報共有できるので、チャットの相手が身近にいなくてもすむ。「俺はラインなどしない」とかたくなに拒否していると、寂しい老後を送ることになるかも。
現代人の井戸端会議はどんどん進化する。でもズームなど映像をともなったリモート会議はすでにあるので、次は仮想空間でお互い出合えるような研究も行なわれている。顔にはゴーグルをかけ、手には特殊なグローブをつけると、対象物の触覚まで感じることが出来るようになるらしい。脳に残る記憶などを呼び出し、死んだ親とも世間話できるという夢物語すらある。
「どうだ、元気にやっているか」。突然、だいぶ前に死んだはずの父親の声にビックリ!どうも俺は三途の川を越えたらい。そろそろお迎えが来ても不思議ではない歳だが、先ほどまでは確か元気であったはず・・・。我々凡人が何も知らないうちに、科学技術は危険な領域まで加速度的に変化していく。
(八年前に楽しみながら作った自宅の坪庭。パズルのように石を配置するのが面白かった。勝田陶人舎・冨岡伸一)
池田勇人蔵相は、緊縮財政下の不況の上、米価が高騰していた時に参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁。それが「貧乏人は麦を食え」のマスコミ報道で大騒ぎ、後にいわゆる複数失言(切り貼り報道)を繰り返しマスコミに叩かれて大臣を辞任している。
驚きは、当時から現在の財務省まで70年以上続く緊縮財政論者が支配する官界、政界、財界、学界の姿。
そして、侮ることはできないが弱体化しつつある大手マスコミの影響力低下です。
「米穀通帳」我が家にありました。お米はお米屋さんに注文し配達をしてもう。近くの商店街へ手編みの買い物籠を手に白のかっぽう着姿でお買い物、井戸端会議などで情報収集するご近所んのおばさん達の明るい笑顔。過ぎ去った昭和時代の映像シーンが蘇ります。
もう手放せない便利な「リモート」や現実と非現実を超越する「バーチャルリアリティ」による恩恵です。
かつて「井戸端会議は消え、そして「学校での学び」、「会社での学び」など対人関係で学ぶ情動機能(情緒の安定・不安定や感動・怒りを共鳴し合うなどの刺激を受動)訓練の場が減少してくるでしょう。
これをどう補うことができるか・・・脳に大量情報を与え瞬間許容量を越えたなら、人間破壊(自殺者)が増加することにならないか不安になります。
財務省の緊縮財政といえば日本の赤字国債の発行が膨張し続け将来財政破綻が起きるので、消費税を上げて収支のバランスをとらなければならないと、もう20年も前から叫んでいるが、いっこうに財政破綻の兆候は見られない。MMT理論はどうも正解なようで、アメリカでも巨額な債務がドル暴落やインフレにつながる気配もない。もう財政破綻など気にせず、税金も上げずにどんどん金を刷って景気を上げればよいのです。日本はそれをしなかったからデフレが30年も続いている。もう50年もしたらデジタル通貨もなくなり、タダで何でも買えるお金の必要ない時代がくるかも?(極論です!)