アイスキャンディー
「チリチリーン、チリチリーン!」手持ちのベルを鳴らし、小さなキャンデーと書いた旗をなびかせアイスキャンディー屋が夏になるとやって来る。大きな麦わら帽子をかぶり、白いダボシャツにサンダル履きのオジサンの自転車の荷台には、ブルーの保冷庫の木箱が乗せられていた。箱の中にはピンクやブルーに色付けされたの甘い水を凍らせただけの、一本十円のアイスキャンディー入っている。このキャンディーの棒は割り箸を割っただけで、斜めについていることが多く、注意して食べないとまだ途中でポトット抜け落ちることがある。「食べると赤痢になるよ」と親からは忠告されていが、その日は特にカンカン照りで喉が異常に渇いていた。「まあいいか!」アイスキャンディーを買い、舐めながら木陰で涼んでいたのだ。
「あれー、遠くの方から尺八の音色が聞こえる・・・虚無僧かあ!」見るとこの暑いのに白装束に茶色い羽織の重ね、頭からはスッポリと顔が見えない編み笠を被っていた。「この炎天下、良く我慢できるなあ」俺は半ズボンにランニングシャツ一枚、それでも厚いのでこうしてアイスまで舐めれいる・・・。その虚無僧は家々の玄関先で尺八を吹き托鉢をすれど、だれもわざわざ玄関を開け小銭など提供する人などいないと見えて、徐々にこちら方にやって来た。すると虚無僧のおじさんも暑く疲れたのか私の涼む木陰に来て、正面の石段の上にゆっくりと腰をおろしたのだ。尺八をゆっくりと脇に置き、履いていた草鞋のヒモを結びなおしていた。
私はなにも話しかけず、ただぼんやりと編み笠のおじさんのしぐさを眺めていた。ところが「その時だ!」おじさんが手ぬぐいを取り出し顔の汗をぬぐうため、編み笠を一瞬上方に引き上げた。「ガーン、なにー」。なんとおじさんの顔には鼻が無い。鼻の部分には直接丸い穴があいているだけのすごく怖い顔!びっくり飛び上がらんばかりで急いで自宅に戻った。「あの虚無僧が家に来たらどうしよう」あいにく家には誰もいなかった。その後しばらく押入れに身を潜めていた。母親が帰ったのでそのことを告げると、「ライ病などで鼻を失い、仕事にも就けず虚無僧に身を転じて、托鉢しながら全国を行脚する人もいるのよ」と告げれれたが、社会保障制度なども充実して無い時代、障害者などが生きていくのも大変だった。
今日は工房の盆栽を掲載する。(勝田陶人舎・冨岡伸一)
オリーブ油
オリーブ油
今年の梅雨明けとても早かった!いよいよ暑い夏の始まりであるが、今の若い人達は余り海水浴には行かない。日光浴はお肌に悪いと極度に日焼けを嫌うようになった。むかし夏の炎天下で肌を焼き中高年になってから、シミだらけになっている女性達の後悔の言葉を教訓として聞き、なるたけ日に焼かないようにしているのだと思う。若い女性が海に行かなければ、水着姿を見るのが楽しみで海に行く男性もとうぜん少ない。それに極度に日焼けを嫌う女性が以前より多くなった。日傘やツバの大きな帽子、サングラスにマスク、暑いのに手袋までしている。肌の露出している部分がほとんど無い、完全武装の「お肌のミカタ」月光仮面である。
「こんにちは!」と自転車に乗り通りすがりに挨拶されたが、誰だか全くわからない!なんてことが先日あった・・・。我々の若い頃はクーラーが家庭には普及しておらず、夏は涼を求めて海水浴に行くのが楽しみであった。今のように良い日焼け止めクリームもなく、ビンに入ったオリーブオイルを体に塗る。そうすると肌が赤くならずに綺麗に日焼けすることが出来る。夏休みが終わり、学校が始まる頃になると「黒んぼ大会」なるものも開催され、お互いに色の黒さを競いあった。夏場色が白いと女の子にもてない。海に行かない時は自宅のベランダで肌を焼いたりもしていた。今の時代この黒んぼ大会などと名ずけて、イベントを開催をすれば直ぐに人権団体から猛烈な抗議を受ける。
当時は輸入品のオリーブオイルは値段が高く頻繁には使用できない。当然オリーブ油を料理に使うという発想はまるで無く、オリーブ油は日焼けオイルなのだとずっと思っていた。オリーブ油が料理油として本格的に使われ始めたのは、イタリア料理が普及し始めた40年位前からで、わりと最近の事である。しかしこのオリーブオイル、まがい品が多くてとても危険なオイルもあるらしい!着色されたり、他のオイルを混ぜたりして合成されているという。値段の安いものは全て紛い品ということで、250ml二千円以上のものでないと、だいたい合成オイルだとか。オリーブオイルはスペインが主産地であるが量が余り取れない。そのため需要が増えると紛い品が多くなるという。
エクストラバージンオイルを小さい鉢に入れ、子切りのバケットを皿にのせ付けて食べる。これ最高・・・。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
カプッチーノ
カプッチーノ
[センタ(すいません)」遠くにいるボーイに手を挙げ合図する。彼は軽くうなずいて私の方にやってくる。そのとき別の方向から「センタ」美しい女性の声がした。するとボーイは身をひるがえし女性のほうへ向かう。「あの野郎ー」俺が先に呼んだのに、といちいち腹を立てるあなたはこの国イタリアには住めない。この国の優先順位は後先の時間差ではない。まず女性が男性よりも優先順位が先だ。それに若くて美人ならなおさらだ。男性は若い人より年寄りの方が先、親しい友だちや顔見知りも優先する。それに上から目線の高圧的な人、階級社会のイタリアでは遠慮深いと下層民だと思われなめられる。だから穏やかな口調の若い男の旅行者など一番後回しになる!
ボーイを呼んだのは若い女性の二人連れ!彼はニコニコしながらオーダーも聞かず話しかけいる。「美人だねえ!どこから来たの?観光?町でも案内しますか?」必ず口説く。でもこれはイタリア男の「こんにちわ」程度の挨拶で、断られるのを承知で声をかけいる。彼らの文化では若い女性を見たらとりあえず口説かないと無視したと失礼にあたる。いっぽう女性は興味ある男性でも、何度かは断らないと尻軽女に見られると相手にしない素振りをする。一度断ってもどうせ何度もやってくるし、適当なところで受ければよいとなかなかオーケーしない。イタリア女性は自分の方からは笑顔を見せないし、ほとんどアプローチすることはない!男性が声をかけ続けることがこの国のルールだ!(女性に恥はかかせない)
そんなところに日本の若い男性や女性が進入したらどうなるのか?ここでいろいろな誤解が生まれる。若い美人の女性を見ても直ぐに口説きもしない冨岡は、どこか体が悪いか、ホモなのではないか?一方女性は急に自分はもてるようになったと錯覚する。言い寄る男達に笑顔で接すると、自分のことが好きなのだとすぐに勘違いされ付きまとわれる!あげくの果てに誰にでもなびく、尻軽女だと思われて付き合ってもじきに捨てられる。(でも女性にとっては面白い国だと思うが、男性は余程自分を変えないと、シャイな日本人の情念では住みずらくストレスがたまる)先日テレビを見ていたら、若いイタリア女性が「日本に住むのも良いが、誰も口説きに来なくて面白くない!」と話していた。
日本式が良いのかイタリア式が良いのかはそれぞれ長短があるので分からない。しかしこの二国の恋愛表現はあまりにも極端な違いがあると思う。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
イナゴの佃煮
イナゴの佃煮
「なんか、旨そうだよこれ」今日もたくさん取った銀ヤンマの一匹を虫篭から取り出し、シッポをはずし胴体をむしる。すると小さいが薄茶色の綺麗な筋肉があらわれる。それをじっと見ていると口に入れたくなる衝動に!「やばいよ」たじろぎ我に返えった。私は子供のころ虫取りが大好きで、夏になるといつも炎天下麦わら帽子を被り玉網で虫を追いかけていた。特に銀ヤンマは大好きで、あの美しいブルーと銀色のその胴体は見飽きることがなかった。毎日何匹ものギンヤンマを捕まえてくるので、さすがの親父も見かねたのか「銀ヤンマは害虫を食う益虫なので、捕まえても直ぐに逃がしてやりなさい。トンボが化けて出るぞ」とたしなめられた。
ところがこの私の行動!実は日本人のDNAにしっかりと刻み込まれた行動だったのだ!ある文献によると、縄文時代まで一部の昆虫は子供のおやつで、トンボやバッタは重要な蛋白源であったという。だから特に男の子は、今だにトンボなどを見ると衝動的に追いかけたくなるそうだ。「そうか?やっぱりそうだよなあ、おやつを採りに行っていたんだよ、俺は!」と納得するが、今でもニューギニアの山奥の子供達は昆虫を直接捕食しているという。昆虫食はとても体に良いらしい!栄養バランスがよく健康維持には最適だというが、なかなか食べる機会がない。これからの時代昆虫は未来食として注目されていて、食品としての美味い食べ方が研究されているという。
子供の頃、実際に恐る恐る食べた昆虫は蜂の子である!蜂の巣を木から叩き落し、巣の中から蛆虫のような姿の蜂の子をとりだす。「お前食べる勇気ねえだろう」友だちが言うので「ばかやろう」と返して、口の中へ放り込み噛んだ真似をする。友だちはじっと私の口元を見つめる。「旨いか?」「まあまだ、お前も喰ってみろよ」と言い私はそのまま飲み込んだ。なので蜂の子の味は分からないかった。現在昆虫なかで食物として一般的に売られているのは、イナゴの佃煮ぐらいであろうか?戦後暫くは農薬散布がまだ余り行われずに、田んぼにはイナゴがたくさんいた!それを思うとイナゴの佃煮もわざわざ食べたくはない。
蜂蜜を与えられて育つミツバチの幼虫は食べると甘いそうだ。でも昆虫からの最高の送りもはやはり蜂蜜かな。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎。冨岡伸一)
ラッキョウ
ラッキョウ
むかし街の酒屋の多くは乾物屋も兼ねていた。店頭の正面にはガラスケースの中に乾物が、壁際には酒類を並べて販売していた。また店の一角には粗末なテーブルが置かれ、立ち飲み出来る空間がある。そして夕方になると仕事帰りのサラリーマンや職人が、ここに集まってコップ酒をあおった。酒を原価で飲めるので居酒屋で飲むより安上り、毎日晩酌する独り身には喜ばれた。当時日本酒は小瓶がなく一升瓶や樽酒からの量り売りであった。四角いマスに酒を満たし量ってからコップにあけるとこぼれる事もある。そこでしだいにコップをマスに置きこぼれる酒を受ける、今でも居酒屋にいくとやっている「ヘンテコリン」あの飲み方になっていった。
また酒屋の立ち飲みは安く酔いの下地を作るには都合が良い。私も勤め始めた頃、「今日は俺のおごりで銀座のバーに連れってやる!」と先輩に声をかけられて喜んでついて行くと、まず連れて行かれたのが、新橋のガード下にあった立ち飲み屋だあった。「ここで好きなだけ酒を飲め!その代わりバーに行ったらあまり飲むなよ」とねんをおされた。確かにサラリーマンにはこの飲み方は合理的であると思った。子どものころ夕方酒屋に使いに出ると、よくこの立ち飲みの光景に出くわす!おじさんたちがワイワイガヤガヤ、コップ酒をあおりご機嫌だ!「酒なんか飲んで何が楽しいいんだよ!」遠巻きに眺めていたが、良く見ると俺の嫌いなラッキョウをチビチビかじってる。その酒屋ではコップ酒を頼むとサービスでラッキョウを2,3粒小皿に入れて出していた。
「だってラッキョウが転がるんですもん!」ずっと以前テレビのコマーシャルで放映されて、このフレーズが評判になったことがある!何を見てもおかしい女子高生の感情を実に素直に表現していた!ラッキョウを箸で掴んだがスベッテ転がった。それだけでケラケラ笑える年頃がある!我が娘もそうだった。下らない事でよく笑っていたが、働き盛りで頑張る親父はそれを冷ややかな目で見ていた。娘にしてみれば「いつも難しい顔して馬鹿みたい!」と当然そう思っていたに違いない。「若いときのパパはとても怖かった」と最近娘が口にしていたが確かにそうだったかもしれない。立ち飲みのコップ酒もラッキョウもどうでもよいが、なにかこの相性ピッタリはまると思いませんか?
やっと丸くなって来たと思ったらもうこの歳だ!丸くなったというより怒る元気がなくなったという方が正解かも。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)