エビフライ

先日(ちび丸子ちゃん)の漫画家サクラ・モモコさんが乳ガンで亡くなった。私の次女も丸子ちゃんの漫画が大ファン!そこでアニメ放送が始まる日曜日の夕方には、娘に付き合って毎週見ていた。サザエさん、ドラえもん、ちび丸子、などこれらの人気漫画はごく一般的で平凡な家庭生活の日常をベースにしている。つい数十年前までは大半の人が、何の疑問も持たずに結婚をし、夫婦分業で家庭生活を営んでいた。サザエさんと丸子の家は三世代同居、のび太の家はとりあず核家族。でもこれらの人気漫画に共通しているのは、母親は専業主婦で家庭にいて、母親と主人公の子供が中心に物語が展開されるという点だ。

でも最近はこの様な家族形態を選ばない人たちが殆んどだ。先進国では家庭を持つということは今では選択肢の一部で、必ずしも一番に優先すべき課題でもなくなってきた。生涯の独身はもちろん、シングルマザー、フルタイムでの夫婦共働きと、家庭生活における母親のあり方も様々だ。そこで現代このような時代にホームドラマを漫画を描くとしたら、どのような家族形態の舞台が選択されるのであろうか?考えて見ると面白い。先日オーストラリアでは同姓婚が正式に認められた。男性同士が婚姻を喜んでキスなどのシーンを見ていると、気持ち悪いと感じるか、微笑ましいと感じるか?その人の主観によると思うのだが、我々世代では法律で認められても、必ずしも理解のある眼差しでは見られないと思う。

「だめー、突然幼児が我々の間に割って入った!」いぜん私が社交ダンススタジオでダンスを男の先生に習っていた時、先生が女役をして一緒に組んで踊っていると、それを見ていた先生の三歳の女児に制止されたことがある。私は苦笑いをして立ち止まったが、やはり三歳の子供でも男同士のダンスなど本能的に違和感があるのだろう。(その子が言うには、お母さんと女の生徒さんなら良いが、お父さんと男の生徒はだめだということだった)いま社交ダンスの映画で(レディ・トゥ・レディ)という女性同士で組んで踊る映画が製作中だという・・・。あの面白かったシャルウィーダンスの映画から20数年、一世代も経過するとダンス映画のスタイルもずいぶん違ってくる。

ちび丸子ちゃんの好物はハンバーグやプリン等たくさんあるが、エビフライも好物だという。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

ヘチマ

「ご自由にお取り下さい!」先日いつも通る近所の家の塀の上に、この張り紙と共にゴウヤが3,4本置かれていた。塀越しに見ると、大きな西側のガラス窓の日よけに植えたゴウヤの蔓が高く伸びている。もうシーズンは越えてきたがまだ所々にゴウヤが何本かぶら下がり、一部黄色くなった物も!最初は喜んで食べていた家族も頻繁に食べると飽きてくるのか、処理に困っているようだ。近ごろ暑い夏の日よけにゴウヤを植えることが、電力会社からも推奨されているようである。かつては軒先の日よけにはゴウヤでなくヒョウタンやヘチマが植えられていたが、近年では余り見かけなくなっている。

「ヘチマでは体を洗わらない方が良いらしい!」我が家では、父親がヘチマで体を洗うことを好んでいたために、風呂場にはいつもヘチマが供えられていたが、私の代になって使わなくなった。ヘチマでゴシゴシ体を洗うと、余分なお肌の表皮まで落とし美肌によくない。また天然繊維のヘチマはニキビを引き起こし悪化させる、ブドウ球菌やB群連鎖球菌などという怖い菌が沢山増殖しているという。そこで今では小さいタオルで体を洗っている。確かにヘチマを暫く使っていると、ヌメリが出てきていかにも不衛生と感じることもあった。

そう言えば最近ニキビ面の中高生が本当に少なくなっている。朝電車の中で通学する多くの生徒を眺めているが、昔のようなニキビ面の子を殆ど見かけない。何か皆で特別な対策(プロアクティブなどを使っているとか)をしているわけでは無いと思うので、まさかヘチマで体を洗わなくなったことが、原因だったとも思えない。でも一様に皆さん昔の子よりは数段美肌でスッキリとしている。ニキビの主な原因は食べ物やストレスなどということだが、現代っ子が食べ物に気をつけていたり、以前よりストレスが無いとも考えにくい。詰襟の学ランに坊主頭でニキビ面、近寄ると脂臭い体臭がする。我々の世代ではこれが男子生徒の一般であったのだが。

ところでヘチマは沖縄ではゴウヤと同じで食用にすると言う。あの筋の強いヘチマが食用になるとは考えにくいが、小さいうちは筋がないらしい。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

カラアゲ

今年の夏は本当に暑い!もう九月だというのにまだ工房の前の森からは蝉の声もうるく聞こえる。いよいよ温暖化現象にも拍車がかかり、二酸化炭素の削減問題など待ったなしの状況でもある。それなのにトランプ大統領は自身の支持基盤である石炭堀の労働者雇用拡大などを叫んでいて、逆に石炭火力による発電の推進などと、いっこうにこの問題と真剣に向き合うそぶりさえ見せない。でも温暖化がどんどん進めばアメリカの穀倉地帯なども砂漠化し、農作物の収穫にも多大な影響が出てくる可能性もあると思う。すでにアフリカでは旱魃が進み多くの食料難民があふれる。人類は雑食でいろいろな物を食料にしてきたので、寒い氷河期も何とか生き延びてきた。

「蝉の幼虫を食用のために捕獲しないでください!」先日スマホを見ていたら埼玉県のある公園で、管轄の行政がこんな奇妙な張り紙を出したと言う。どうも誰かが羽化する寸前の幼虫を大量に採取しているという。目的は食料にしているらしい!行政の言い分は子供の昆虫採集ならまだ分かるが、食料として大量に捕獲するのは禁止するという。しかし来るべき食糧不足の未来を予測し、今から蝉の幼虫を旨く食べる料理法などを研究しているとしたら、あえて禁止にも出来ないのではないか?でも蝉は7,8年土の中にいるので飢きん時に食料にするには非常に効率が悪く、人類の救世食とはなりにくいのではないか。

私は戦後食糧難の時代に幼児期を過ごしているので、食べ物には敏感だ!よく見るテレビ、アメリカのディスカバリーチャンネルでは無人島に人を裸で置き去りにして数週間、何を食料にして生き延びるか試す番組がある。また米軍の海兵隊では、上陸した地点での食糧確保が難しくなった場合に備えて事前に、何をどうしたら食料になるかの研修も行われていると聞く。日本人も先の大戦でインドネシアなど南方の島々に送られた兵隊さんは、アメリカの進軍で補給路が絶たれると、野生の生き物や植物など通常では考えられないような物まで食べたと言う。食性が狭まると生き物は絶滅する可能性が高くなる。この先好きなステーキやトンカツが永遠に喰える保証は無い。

現代人は食料はスーパーやコンビニに行けば簡単に手に入ると思っているが、こんな事つい最近の話で先祖は昆虫も食料にしてきた。蝉の幼虫でも唐揚げにすれば多分喰える。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

キヌカツギ

キヌカツギと聞いても、最近の若い人は知らない人も多いと思う。それはサトイモの小芋で、蒸して皮を剥き醤油や塩を付けて食べる。子供のころ母親が秋になると時々オヤツに出してくれたが、今では殆ど見かけなくなった。市川市の中山には法華経寺という日蓮宗の大きな寺がある。京成中山駅を降りて緩らかな傾斜の参道を上り、正面にある山門をくぐると石畳の道の両側には歴史ある寺が並び、今でも昔懐かしい風景を留めている。その境内の入り口近くには一軒の茶店があるが、ここはキヌカツギを名物にしていた。シーズンになると店頭のセイロでキヌカツギをいつも蒸かしていたが、今でもあるのかどうかは分からない。

「あんた何やってんの、可哀そうだから早く逃がしなさい!」遠くで見ていたおばさんが近づいてきて怒鳴る!「せっかく捕まえたのに!」渋々放すと鳩は天空に舞い上がった。「残念!」鳩が飛ぶ軌跡をずっと目で追う。子供のころ鳩を飼うことが非常に流行ったことがある。どうしても鳩を飼いたかった私は友達と相談し、中山の法華経寺に自転車に乗り鳩の捕獲に向かった。境内に着くと、さっそく用意してきた餌を撒き鳩をおびき寄せる。でも捕まえようとすると鳩は身を翻して逃げる。何度も試すが全然だめだ!あきらめかけたその時、飛び立った寸前の一羽を空中で捕まえた。暴れる鳩を両手で押さえ込んだその時だ「やばい!」おばさんが小走りに近づいて来た。

仕方ないので他の調達方法を考えていた時に朗報が届いた。「釣り鳩が小屋に入ったから取りに来い」という。いぜん近所の中学生の仲のよい先輩に「こんど俺の友だちの鳩小屋に釣り鳩が入ったら、俺が貰う約束をしたのでそれをお前にあげるよ!」といってくれたのだ。「ほんと?嬉しくて飛び上がった!」(釣り鳩とは運動のために鳩を一日数回飛ばすが、その時に自分の鳩が飛んでいる群れに加わる迷い鳩)次の日に先輩と一緒にその友だちの家を訪ねると、大きな鳩小屋には伝書鳩が20数羽もいた。「こいつだけど・・・。」手渡された鳩を大事に抱えて帰り、リンゴ箱二つで簡単に作った鳩小屋に入れてずっと眺めていた。しかしそれはじきに悪夢へとかわる・・・。(この続きは何時かまた)

今が旬なので、先日女房に頼んでおいたキヌカツギが今夜食卓に。子供の頃よく食べたキヌカツギと違い小ぶりで品が良い。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

サイダー

一年ほど前から早朝工房に出かける時には、必ずコンビニで炭酸水を買っていくようになった。テレビで炭酸水は水よりも体に良いらしいと聞き、それからはいつも炭酸水を飲んでいる。我々の世代と炭酸飲料の出会いは、あの奇妙なビンに入ったラムネか三ツ矢サイダーである。三ツ矢サイダーの歴史は古く、明治時代に兵庫県の鉱泉炭酸水をビンに詰めて販売したのが始まりだという。両親の世代からも馴染があって、我々の子供の頃は夏場お客さんが来宅すると、酒屋に冷たい三ツ矢サイダーの買い物を頼まれた。いそいで家に帰り栓を開けグラスに注ぐと少し残る。それを駄賃代わりに母親からもらいラッパ飲み。なんだかこの時すでに酒飲みになる予感がした。

三ツ矢サイダーはまだコカコーラが発売される以前、真夏の夜にウチワで煽ぎながら見る巨人軍のナイター中継の合い間に、頻繁にコマーシャルが流れていた。その度に喉の渇きを憶え、「なにか冷たい飲み物ないの?」ときくも、三ツ矢サイダーは高いので自宅にはあるわけない。しかしこの頃、とんでもなく画期的な炭酸飲料が発売されえた。その名も「ソーダラップ」ジュースの素と同じくこの粉末は一杯分の小袋入りで十円。これなら手が届く!冷たい氷水のグラスにこれを開けると、「シュワー!」と泡立ち即ソーダー水が出来上がる。メロンソーダのようなグリーン色のソーダー水は、安いので夏場にはいつもこれを飲んでいた。

「こんなに甘かったっけなあ!これではとても一缶飲めない。」最近自販機で缶入りの三ツ矢サイダーを買って飲んだら、ずいぶん甘く感じた。たぶんサイダーの糖度は変わっていないが、私の味覚が変わったのだろうか?いつも炭酸水を飲んでいるので、甘さが際立つ!でも三ツ矢サイダーに限らずコーラもファンタもみな甘い。昔の飲料水は甘くないと売れなかったのか?でも当時はこの日本でまさかペットボトルの天然水が、百円で売れるとは思わなかった。むかしアメリカの要人が日本人は水と安全は只だと思っていると発言したが、今は飲料水も安全もしっかりとコストが掛っている。

そのころ我が家の冷蔵庫は木製だった。これに夏場毎日氷屋が来て2貫ほど氷を詰め込む。この氷をブッカいてグラスの中に移し冷水にしていた。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎