醤油

かって私の住む自宅の近所に、小さな醤油工場があった。前を通るといつも醤油の香りが漂い夕暮れ時には、晩食のおかずなどを想像したものだ。。

栗原醸造という名のこの醤油屋は、少し離れた場所で小売もしていてた。一升瓶に詰められたこのブランド名はキッコウシン。どこかで聞いたような名前だ。亀甲の六角の中に真の字。「なーあんだキッコウマンのパクリか?」子供ながらにもそう感じていた。

その後しばらくするとこの工場は廃業し、私の記憶からも消えていったが、醤油の瓶を見ると、ふと思い出す時がある。

ところで野田のキッコウマン醤油は、早い時期から海外に醤油を輸出していて、イタリヤのミラノでも40年前に、すでに小瓶を買うことができた。今の世界的な和食人気には、キッコウマンの果たしてきた役割は大きいといえる。

ところで最近の醤油の種類の多さには驚く。我が家でも冷蔵庫を開けると、ダシ醤油、減塩、濃い口、さしみ、など用途別に何種類もある。それに容器には酸化防止など外気に触れない工夫が施されていてびっくり。しかし注いだあとに、空気の漏れる変な音のする容器には閉口する。

たまには昔ながらの醤油注ぎに移し、小皿にさして刺身を食いたい。

サンマ

秋も深まりサンマの旬もそろそろ終わりに近づいてきた。今年は我が家でもサンマが食卓に並ぶ機会が、例年より少なかったような気がする。サンマが不漁であまり取れないらしい。原因は定かではないが、中国漁船による赤道付近での乱獲も一因らしい。

大河の多い中国では主に鯉など川魚を食していたが、日本旅行で海魚の旨さを知り、食べる頻度を増やしたという。中国の大型船漁船による遠洋でのトロールは、サンマをはじめ回遊魚の減少につながるのではないか心配だ。

サンマをはじめ青魚といわれる魚は、海の表面近くを回遊している。そのため上からは常に海鳥に狙われ、下からはより大きな魚の餌食となる。それで上からは海の色に解けこむ青。下からは海の中で陽光に照らされて光る水面の銀色、保護色になっている。でもトロール網ではその効果も無く一網打尽だ。

サンマといえばもちろん焼き魚。ところが一匹、丸ごと焼くとサンマはお皿に困る。ちょうど収まるサイズの皿が中々見つからない。半分に切って焼くと内臓の旨みが出てしまう。大きな皿を使うと食卓の場所を占領する。

そこでサンマ好きにはこのような長皿が必要になる。

 

 

土鍋

数年前のある日、妻が長く使ってきた「土鍋のふたが壊れたからどうにか出来ないか」と見せにきた。さっそくサイズをはかり作ってみることにしたが、「どうして土鍋のふたって、どれもこれもセンスがないのか?」変な柄物や彩色ふただけ見てると、まるで食欲を感じない。

鍋のふたはこれから始まるマジックショーの机を覆う黒いベール。「さあ、何が出てくるか」。皆の視線が集まる。

そして、そのふたを開けた時の感動。立ち上がる湯気の中に、かすんで見えてくる食材の姿。「うん、旨そうだ」つい声に出る。

鍋は恋人、夫婦、あるいは親しい友人と食べるのがよい。お互いにお好みのものを取ってあげたり、もらったり。ふとした気づかいに、その人の心を感じるものだ。

最近、若い人の間では一人鍋がはやっているらしい。でも一人鍋では感動の共有がない。やはり「美味しいね」と言いながら顔を見合ってにっこりすれば、酒も進みますよね。

今夜は鍋でも作りますか?

 

柿の葉

勝田台の工房へ通う京成電車の八幡駅には、自宅から徒歩10分。メイン通りを往けば一本の直線通りであるが、車の通行量も多く味気ない。わざわざ細い住宅地を通っていく。家々の塀からのぞく梢などを眺めていると、季節を感じていいものだ。

駅に近い一軒の家の柿木は毎年みごとに紅葉する。真っ赤な実をつけた柿木からは、美しい落ち葉が道路に散乱。人気の無いその家は掃除する人もいないらしく、いつもそのまま放置されている。

昨年その何枚かを持ち帰り、粘土に葉を押し付けて葉脈の型をとってみた。柿天目や黄伊羅保の釉薬をかけて焼成、柿の葉皿を作ってみました。写真の三枚の柿の葉のうち一枚が本物。

皆さんはどれが本物か、もちろん分かりますよね。

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