カボチャ

誰にでも絶対に食べたくない食品は世の中に一つくらいはある。「すいませんお母さん、カボチャだけは勘弁してください!」長女の旦那がまだ彼女のボーイフレンドだった頃、自宅によく遊びに来た。母親が夕食のおかずにカボチャの煮物を作って、義兄に勧めた時のことだった。「戦後食糧難の時代に、カボチャは嫌になるほどたくさん食べたので見るのもやなんです」とはっきりと断った。普通状況を考えればお義理で一つぐらい食べるところを、よほど嫌いなのであろうか「カボチャはもう一生分食べたので、二度と食べないと誓ったんです」と義兄は続けた。彼はそれから今でもカボチャは全く食べないらしい。

戦後しばらくは、我が家の庭でもカボチャを作っていたことがあるという。狭い庭を耕しカボチャの種を巻くと農作業を知らない都会人でも、長く蔓が伸びてひかくてき簡単に収穫できた。でもこの頃のカボチャは和カボチャで、水っぽく非常に不味かった。戦争直後の家庭菜園での人気農産物はトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモそしてこのカボチャであった。どれもみな今の品種ほど美味くはないが腹の足しになっていた。しかし特にカボチャは時代と共に旨くなってきている。どんどん新しいカボチャが品種改良されると、今では天ぷら、煮物、スープと何でもいける。ただ和カボチャは今でも相変わらず水っぽくて旨くない。しかしゴツゴツしたその形は絵に描くとおもしろい。和カボチャを見ると武者小路実篤の墨で描いた野菜の絵を思い出す。

ところでカボチャの語源は何か?カンボジアから渡来したからカボチャというが、その他ナンキン(南瓜)、唐茄子(とうなす)という呼び名もある。中国の南京から渡来したので南瓜、唐の国の茄子だから唐茄子。いずれの名も南蛮渡来ということだ。しかしカボチャの原産国はジャガイモ、トウモロコシやトマトと同じ新大陸で、メキシコあたりが原産だそうだが詳しくは知らない。また栗のようにホクホクして旨い栗カボチャは、非常に硬く包丁で切るのが大変だ。女房には「カボチャ切ってよ」と頼まれたこともあるが、「俺だって切りたくない」と呟くもしぶしぶ受ける。「いっそうの事、ナタで叩き割ったら」ということで別の名を、ナタカボチャとも言う。今ではカボチャは食いたし怪我は怖し。

先日むかし薪割りに使ったナタを古い道具箱の中から捜してみたが、もうとっくに処分したようで見つからなかった。今ナタを知らない若い人も多く、キャンプ場以外では使用することもないのでは。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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