“覇権” への2件の返信

  1. ブログ「覇権」を読んで感じたことは、グローバリズムとナショナリズムのせめぎあいです。
     15世紀半ばからの大航海時代のポルトガル・スペイン、その後の17世紀半ばから重商主義の英・仏・蘭の台頭、18世紀中期から19世紀初頭の産業革命、1789年誕生した市民革命の国家(仏国)・啓蒙主義の国民国家と啓蒙専制君主国家プロイセン・オーストリア・ロシア・トルコとの確執、そして1905年ロシア革命と日露戦争、1914年からの第一次世界大戦、1939年からの第二次世界大戦を経て米露対立の冷戦時代、1950年の朝鮮戦争、ベトナム戦争と時期の重なる1955年から1975年の日本の高度成長、その後の米国の日本叩きの強化、これらはグローバリストの描いたシナリオ通りなのか。
     1970年代に問題化した在日韓国・朝鮮人(戦後の半島出身者とその子孫などへの「在日特権付与」や1980年代以降来日した南米・アジア出身労働者への対応など多くの社会問題が存在している。特にソ連共産主義の崩壊を契機に資本主義の世界展開がグローバリゼーションの名のもとに進行し、グローバリストの世界制覇が計画的に実行される。
     2006年3月には小泉政権下で多文化共生社会の実現に向けての研究会が報告書を出し、同年12月には総合対策がとりまとめられている。安倍政権下でのいわゆる「ヘイト法」「移民法」成立もその流れであろう。一度決定し進めれれている計画は既定路線で中止ができず、EU・ブレグジットで問題が表面化しているのに止められないわが国の政治は、まさしく隔靴掻痒で苛立たしい現状です。
    「多文化共生」は、移民の受け入れと同様で、まさしく「平和主義」や「戦争反対」と同じくポリティカルコレクトネスで用いられれば、美辞麗句で誰もが反対できない。しかし、「多文化共生」は日本の伝統文化の破壊と日本の地域社会の分断につながる。多文化共生社会は特にローカルでは実現不可能である。
     残念ながら、最後に頼れるものは日本人の良識に委ねることしか考えが及びません。

    1. 最近私が感じることは日本における哲学の不在だと思います。今の人たちは経済優先で、幸福や死とは何か?人はいかに生きるべきか?など自分の人生を見つめなおすことが殆んどありません。ただ忙しさに追われるだけの人生では悲しい。人生哲学が無いからなんとなくグローバリズムを容認し没個性や没国家に身を任せる。今こそ日本は移民の流入抑える法制度の整備や、他文化に惑わされない精神的壁の構築が必要なのでは!確かにリベラルやポリコレなど安っぽい人権を語るマスコミ報道も多く、裁判でも被害者の人権よりんも加害者の人権が尊重される傾向にあると思う。先進国でのポピュリズムの台頭は見捨てられた被害者たちの叫びでもある。このままではおとなしい日本人もポピュリズムの波に連鎖する可能性もある。

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