見合い

「うちのお父さん、27回もお見合いして私と結婚したのよ!」と母親がポツリともらしたことがあった。「へー、27回もねー」と感心するやら、あきれるやら「なおかつ初対面のお見合いではわたし、断られたのよ」と母親は続けた。疲れた顔での勤め帰りのお見合いは、父親にはしっくりこなかったらしい。「本当はもっと美人なんだから!」間に入った父親の妹の熱心な説得で再度席を持つと、今度はバッチリきめた母の姿を見て、やっと重い腰を上げたという。選り好みをしていた父親はこの時すでに32歳になっていたので、当時としては晩婚だったようだ。27度目で結婚した7才年下の母は身びいきという視点もあるが、確かにすらっとして着物の似合う器量よしだったと思う。

昔は結婚は殆んどがお見合いで、恋愛結婚は稀だったという。でも今のようにお見合いクラブなどもなく、近所にいるおせっかい叔母さんや親戚縁者が男女の縁を取り持った。かなり修正された見合い写真や経歴などを持ち寄り、本人に代わって「ああでもない、こうでもない」と条件をすり合わせ相手を選び出す。でも第三者が客観的にカップルバランスを考えながら結び付けるこの方法は、実際に結婚生活に入ると案外うまくいくケースが多い。家庭生活は期間が長く性格の善し悪しや価値観の一致など、あまりお互いに違和感を感じないことが重要である。仲を取り持つ人の冷静な判断が適切で、お見合い結婚をした人のほうが十年もたつと、情も移り総じて仲が良いように思う。

今は三組に一組が離婚する時代になった。原因は様々であると思うが「女性が我慢しなくなったからではないの?」という意見が多い。でも私はその原因は恋愛結婚の増加にあるのではないかと思う。「恋は盲目とは良く行ったもんだ!」恋愛中は気持ちが舞い上がり相手の欠点などまるで見えない。でも勢いで結婚すると後からいろいろ欠点が見えて来る。「こんなはずではなかった!」恋愛感情というものは通常長続きしない。暫くするとアバタはアバタに見える「何でこんな人選んだのかしら」一時の我慢も出来ず、幼子をつれてポイと飛び出す。すると帰る先はまずは実家である。いま女子のいる家庭では母親は子育てを二度する覚悟も必要だ。出戻った娘は直ぐに働きに出るので、孫の世話は祖母の仕事になる。

恋愛結婚が主流になったのは戦後民主主義の浸透とリンクする。女性が参政権を持ち人権が重んじられると、みずからの意思で結婚相手を選ぶ。でも欧米流の結婚観の裏には離婚というババがベッチャリと貼り付いていた。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

そういえば最近あの石像を全く見かけない。子供のころ近所のお金持ちの家などに遊びに行くと、必ずこの石像が玄関脇などに立っていたのだ。「なんだか分かりますか?」少年が薪を背負い、本を読みながら歩く姿のあの像ですよ。「正解です。二宮尊徳像ですよね!」戦後暫くはまだあんなに人気のあった尊徳像がいつ日か、こつ然と消えて久しい。「ホラこの子を見てみな!薪を背負いながらでも一生懸命勉強し立派な人になったんだよ。お前も少しは見習って勉強しなさい!」などと石像に目をやり母親にたしなめられた経験を持つ男子は、私以外でもいるのではないかと思う。戦前修身の模範的人物とされてきた尊徳は貧農生まれだが、身分制度の厳しかった時代に幕府の要職まで昇りついた偉人である。

近頃一人鍋という言葉があるらしい。なんでも一人で居酒屋などに入り鍋をつつくというのだ。「何から入れるかな?」自ら具の投入の順番などにこだわり、静かに頂く鍋の味は誰気兼ねなく最高なのだというのだが、私にはこの感覚が理解できない。鍋奉行という言葉があるように、鍋は何人かで取り分けて食べるほうがよろしい。でも大家族から核家族そして現代の単身住まいの選択へと、生活様式が変化すると人との係わりを煩わしいく感じる人も多くいる・・・。むかしは一人でのんきに暮らす事など基本的には許されなかった。親も貧しく兄弟も多い、すると家計を支え努力することが必然であった。自分が頑張らなければ家族が飢える。結果立身出世の願望を強く抱いた二宮尊徳のような人が世に出た。

立身出世とは?社会的に高い地位について名声を得ることと辞書には書いてある。ところが最近の若い人は出世など全く問題にしていないようだ。飽食の時代に育った人たちは貧しい家族を支える必要もない。気楽な仕事を選択し、高給でもストレスのかかる仕事を嫌う。私はポジティブな人生とは、常に自分に負荷をかけて生活することだと思っている。むかしは「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とよく言われた。考えて見れば親が裕福で負荷のかからない家庭で育った人は気の毒だ。何も背負う物が無いので心の筋力も付かない。いっぽう家に帰れば腹を空かした弟達が待っていて「兄ちゃん、腹減ったよ」など呟けば、「よーし、待ってろ」とパワー全開になる!

良い親の定義も難しい。「自分たちのことは。何も心配いらないよ!」と負担をかけないか「あなただけが頼りだよ!」と子供に期待するか?いずれにしても尊徳の時代と違って、今の若い人たちの問題は背負う薪が殆んどないことである。(以前鍋の蓋が割れたので、蓋だけ作りました。勝田陶人舎。冨岡伸一)

 

年金

「年金とは育てるものです!」これを聞いてすぐにピーンとくる人は少ないのではないか?「何やそれ、年金は国から受け取るものとちゃうんか?」と現代人なら誰でも思う。しかし我々の両親より前の世代では、年金は生んで育てるものであったのだ。ということは戦後年金制度が確立する以前、老人は代々自主的に各家庭でめんどうを見ていたのである。そのためどこの家庭でも自分達の老後を託す、後継者である男子を誕生させることが責務であった。「男の子が生まれたよ!」との産婆(敗戦の混乱期、子供も自宅で生んでいた)の声に私の父親は大喜び。「やっと四人目で男子が生まれた。これで俺達の老後は安泰だ」あとはこの男子を大きく育て高給取りにすればよい。実はこれ私と父親の関係でもあった。

「お前は長男だから、親のめんどうをみるのだよ!」と幼児の頃より言われ続けた私は32歳で両親と同居し、その後死ぬまで年金と老人ホームの役割を夫婦で担うことになる・・・。実は日本に国民皆年金制度が導入されたのは1961年とごく最近のことである。これにより親の扶養から解放された日本の家庭は、親との同居の強制がなくなり、どんどん核家族化が進み年金として男子を生む必要性も希薄になっていった。「子育てなど大変なだけで、子供を多く生むメリットはほとんどない、何かあれば国がめんどうを見てくれる」少子化の原因は国民皆年金にあるのではないかと私は思うのである。老後30年以上も国から年金を受け取れる。でもそんな金、借金大国の日本にあるのか?

親の扶養や介護の義務が家庭から国に移行しはじめて半世紀。でも近い将来国は財政難を理由にそれをまた家庭につき返すこともある。そのとき今の子は親の扶養などするのか?そこで重要なのが子供達の教育である。小学校で英語など教えている場合ではない。道徳教育こそ必要ではないのか?戦前の修身教科書を現代風にアレンジして復活させ、また親孝行や皇室の重要性などを説いてみたらどうだろう。それがだめなら安楽死法案(現代の合理的な姨捨山法)を通し、寝たきりの老人は自ら死を選択することが出来ようにするかである。「お前はアホか!」あのホリエモンの声がきこえる。これからAIロボットの時代になると、人々の労働や介護はロボットがするようになる。民衆は国からベーシックインカム(最低賃金)が支給され労働から解放!好きなことをすればよいと彼はいう。でもこんな夢物語、本当に実現する保証はない。

政府は百年生きるなら年金支給もそのうち崩壊するので、他に一億円必要ですと無責任に言ってみたらどうだ。2千万円貯蓄が必要というが年金がなければ、こんな額では足りるわけない。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

捕鯨

梅雨空を見上げ、いつも通る静かな住宅街を歩いていてふと感じた。「そうえば最近子供達のピアノを弾く音色がほとんど聞こえてこない」私の住む町も高齢化が進み子供の数が少ないのか?それとも勉強やスマホゲームなどで忙しく、ピアノなど習う余裕などないのかは分からない。ただ公文など塾の先生によると最近の親達は、塾代などの支出には以前より敏感で、よりシビアーになってきているという。我々の世代では子供達が好むと好まざるとに関わらず、ピアノを買い与え教室に通わせていた。いやがる子供をピアノの前に座らせ、なかば半強制的にバイエルなどを弾かせる親も多くいたと思う。ところが今は夫婦共稼ぎで母親が昼間自宅にいないので、じっくりと子供のピアノ練習などに付き合う暇もなくなってきているようだ。

せんじつ子供食堂の運営に関する記事を新聞で読んだ。なんでもシニアのボランティアが、自治会室などに地域の子供たちを集めて食事を提供しているという。片親などが原因で貧困家庭も多く、三度の食事もろくに取れない子供も増えているらしい。まさかこの現代にと思うが統計によれば7軒に1軒は貧困家庭だともいう。平成の長く続いたデフレ時代に日本の国力は落ち、気がついてみたらあの鯨カツや鯨のベーコンを食べていた、貧しかった我々の子供の頃に逆戻りしているのではないのか?私は個人的には鯨のベーコンは好きだったが、学校給食に出た鯨カツはいただけなかった。肉が硬くていくら噛んでも噛み切れないので、脱脂粉乳と一緒に無理に飲み込んだ記憶がある。でも鯨カツと脱脂粉乳の相性は実に良い!敗戦国の完璧な組み合わせの学校給食ともいえた。

日本政府は来るべき貧困時代を察知してか?この6月30日に国際捕鯨委員会(IWC)から脱退して、今月1日からいよいよ31年ぶりに商業捕鯨を再開することになった。これから日本国は外貨がなくなり、牛肉を輸入できなくなると庶民はまた鯨肉を食うようになる。それを見込んで今のうちから捕鯨を再開しないと、食糧不足に対処できないと考えているのか?そうだとしたら政府は先見の明があり素晴らしい。でも捕鯨には海のない国々や牛食文化の欧米からの反発が強い。しかし余り鯨が増えすぎると大量に小魚などを食い荒らし、漁業資源の枯渇にもつながる。海洋国家であるわが国は海の生態系のバランスなども考える必要もあるのだ・・・。

「鯨は知能が高く可哀そうだ!それに聖書には牛は食べてよいが、鯨の記述はない」と反対者は言う。「バカヤロウ、砂漠で書かれた聖書に鯨の記述などあるわけねえだろう!」鯨のベーコンの値下がりを待ち望む。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

最近私の住む市川市の村越市長が公用車としてアメリカ製高級車、テスラを2台購入していた事がマスコミの報道により明らかになった。この車は電気自動車で価格は一千万円もする。実際にはリース契約だそうだが、税金のむだ使いであるとの批判を市民から浴びている。昨年行なわれた市長選挙では村越市長を初め三人が立候補したが、誰も規定の得票数には届かず再選挙の末、現在の村越市長がやっとの思いで当選した経緯がある。村越市長は私と同じ市川高校の出身なので、先輩のよしみで私は彼に一票を投じたのだが、「地元地主で坊ちゃん育ちの彼は、まさかこの程度の支出で批判されるとは思わなかったに相違ない!」環境問題を配慮して電気自動車の購入を選ぶなら、日本には三百万前後で買える日産リーフがある。

テスラのこの車は後部座席のドアーがガルウイング(カモメが翼を広げたように、ドアーが上に開く)という特徴がある。大きく開いた後部座席から若い市長が「ジャジャーン!」颯爽とおりたつ姿を思い浮かべると、まるでハリウッドスターのようでカッコ良い。でも自分の金で買うならともかく、税金での購入では目立てば目立つほど市民からの反感をかう。名古屋の河村市長などは公用車は軽自動車だという。こんな金銭感覚では予算管理配分など、この先税金の使われ方も気になるところだ!市川市はふるさと納税などの弊害で、数億円の減収だといい財政も厳しい。でもマスコミや世論を恐れて、ケチケチ節約して事なかれ主義のビジョンなし市長もいただけないのだが・・・。

ところで日本では発明王といえばアメリカ人のエジソンが有名だが、実は同時期エジソンも恐れたというニコラ・テスラという天才発明家がいた。物理学者でもある彼は交流電流、ラジオ、モーター、レントゲン、蛍光灯など現在でも使われているエジソンも及ばない実に多くの物を発明している。このテスラに傾倒し自社名をテスラに命名したのが、テスラモーター車の社長イーロン・マスクという人物である。彼はいわゆる典型的なベンチャー企業の経営者で非常に未来志向が強く、電気自動車をはじめ宇宙旅行など多方面に革新的ビジネスを展開し、世の中を劇的に変えようと努力している。電気自動車は構造が単純でガソリン車と違い、部品の数が四分の一ですむという。でもバッテリーの蓄電能力と耐久性にはまだいろいろ問題が残るようだ。

たぶん私の推測では村越市長はテスラの社長イーロン・マスクを尊敬し、彼にあやかりたいと思っているのではないか?市川市を未来型都市に変貌させるためのシンボルとして、テスラを買いましたと言ったらどうだろう?

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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