いまアメリカと中国は貿易戦争の真っ只中である。お互いに輸入関税をかけ合い、このままだと食品や日用品などの価格上昇にもつながる。そしてこれら保護貿易の推進で双方とも景気後退に落ち込む恐れもある。今アメリカの農家では中国からの購入拒否された小麦、トウモロコシなど農産物が大量にあまり困っている。そこでトランプ、安部会談でこの行き場を失った農産物を日本が緊急購入することが決まった。わが国では輸入したこれら一部の農産物を、アフリカなどの国に食料援助するそうだが、それならアメリカが直接貧困国に援助したほうが良いと思う。自動車輸出などで貿易黒字が溜まり続ける日本は、アメリカから戦闘機や農産物などのほかに購入する商品があまりないのが現状である。
ところで「人類は麦の奴隷である!」と以前ある作家が本に書いているのを思い出した。人間は毎年広大な面積の土地に麦を作付けし、労力を惜しまず麦の世話をする。そして実った麦の大半を食料として頂くが、実際にこの行為は麦の巧妙な戦略に乗り、麦の思い通りに人類が使役されているという。確かに麦は凄い!地球上で一種類の植物がこれほど繁栄している例も他にはないであろう。麦の立場では確かに大半が人の胃袋に消えるが、残る量も膨大で自分達は努力なしでも大繁栄する。人類が勝手に畑を耕し環境を整え、「麦様どうぞこちらへお越しください!」と特等席へご案内。喉が渇けば水を差し入れ、雑草が生えれば抜き取ってくれる。確かに人類は麦の奴隷かもしれない!
米食の日本では麦もご飯と同様に蒸かして、直接米の代用食として食べることが多かった。でも麦飯は健康には良いのだが味がまずく嫌われた。「貧乏人は麦を食え!」1950年ごろ当時大蔵大臣であった池田勇人は、この発言をして野党から反発をくらったことがある。またフランス革命で殺された王妃マリー・アントアネットは「窮乏する庶民は食べるパンがない」の報告に「だったらケーキを食べたら」と答えたというがこれは作り話で事実ではないらしい。戦後わが家でも贅沢など言っていられなかったので、麦入りご飯もたべた記憶がある。去年テレビの健康番組でモチ麦が健康に非常に良いらしいとの放送を見て、一時ご飯にモチ麦を入れ食べていたが、気がつくといつの間にか白米に戻った。
白米は健康に良くないと、雑穀、五穀、モチ麦。玄米など思いつくといろいろ試すが結局もとの白米に戻る。(勝田陶人舎・冨岡伸一)
「人類は麦の奴隷である!」の発言で連想したのは、世界の三大穀物の「小麦」「トウモロコシ」「米」の生産量と貿易率でした。 調べてみると、生産量の比率は、小麦7・トウモロコシ10・米5であり、生産量に対して貿易率をみると小麦が22.6%、トウモロコシが13.5%、米が9%でした。トウモロコシが家畜の飼料用目的であるのに対して、小麦と米は食料用が主目的であることを考えると、世界に流通する「小麦」は生命維持を左右する大切な穀物とわかります。まさしく「麦の奴隷」とも言えますね。 また、「米」は東アジア・東南アジア・インド・バングラデシュで多く生産されていますので、比較的に自前調達可能な主食「米」をアジアの人々は口にすることができます。生産地と消費地が同エリアという幸運も味方をしています。 忘れてならないのは、「大豆」です。生産量は3(トウモロコシが10・小麦7・米5)でありますが、米国・ブラジル・アルゼンチンで世界の82%を生産しています。飼料・油脂・燃料が主目的で取引され、貿易量は生産量の40%を占めています。「トウモロコシ」並みの物量が世界中を流通していることになります。世界最大の「大豆」輸出国ブラジルでの先日の「アマゾン森林火災とアマゾン開発」の問題、ブラジル大統領とG7のマクロン仏大統領の応酬は「世界の穀物メジャー」がバックにいてのことでしょう。世界各地の災害・紛争の舞台も同様に演出・利用してどっちに転んでも自利に結び付けるしたたかな脅威を感じます。
ここで私は心を落ち着かせ、古来より引き継がれた稲作で「米」が主食の日本国は、過去・現在・未来の「安全保障」をひとつ手にしていることに感謝することに致します。「ご先祖様有難う」と。
アメリカは戦後日本の食物自給率を下げることを戦略的に行なってきました。まず日本の主食を米から麦に変えるために食糧援助という形で、学校給食にパン食を導入し日本人を米食から離す政策を展開してきました。今でも自動車輸出と引き換えに日本の益々の食糧自給力の低下を先導しています。防衛と食料自給は国家の存亡に関わること、気候変動などによる有事の際は当然日本は自国よりも後回し、飢えるのはアメリカ国民より日本人が先である。さりとてアメリカに逆らって穀物の輸入を減らすわけにもいかない。
しからば縄文時代まで遡り食料を考えて見る。当時は栃の実や栗などを食べていた。日本には豊かな森がある。これを食料採取の場所に変えたらどうだろう?大量の花粉を撒き散らす杉を切り、代わりに栗の木を沢山植える。通常は落ちるのまかせても食料不足のさいは木の実を利用する。いずれにしても食料は田畑だけでなく山でも取れる。もう一度縄文人の食性など研究するのも悪くない。マヤ人は木になる実のアボガドを食って文化を作り、欠陥穀物のトウモロコシに主食を変えて亡びた。何とかアメリカにばれずに、いざと言う時の食物自給を真剣に考える必要があると思います。
縄文時代の食料に触れておられましたが、個人的な趣味趣向の飲み物はまたの機会にして、衣服について耳学問の範囲で恐縮ですが記します。「縄文土器」の模様は麻類の縄を押し付けられたそうで、縄文人は麻や植物繊維を編み込んだ布を身に纏っていたらしい。縄文時代に外来の麻(大麻、苧麻)が南方や大陸から人の移住に伴って伝来し、麻類の利用技術を通じて在来の楮(コウゾ)、科(シナ)、芭蕉(バショウ)、楡(ニレ)、藤(フジ)、葛(クズ)などの内皮の繊維などの植物繊維の利用方法も体得していったと言われている。今、興味をそそる「布」がそれにあたります。庶民の衣服は綿織物が普及するまでは、麻織物が多かった。そして今は貴重な芭蕉布(沖縄喜如嘉地方)・葛布(遠州地方)・科布(羽越地方)の三大古代布です。
弥生時代に「稲とシルク」が伝わり、その後の木綿の伝来や更に時代が下がって、明治以降の羊毛の輸入、化学繊維の隆盛で廃れたが、最近各地で復活されており、それらは総称して「古代布」と呼ばれています。
この夏は、能登上布・小千谷縮の麻の着物、楮紙布(とうしふ)・藤布・からむしの角帯、科布(しなふ)の草履でお出かけをしてみました。とにかく涼しい着心地は最高です。さすがに「芭蕉布」の着物や帯は、あまりにも高価な品で手が届きませんが、縄文時代から続く日本の自然布をきもの(和装)を身に纏うことで「風」を楽しむことができました。
貴重な見識ありがとう御座います。いずれにしても縄文時代というのは我々が考えている以上に、高度な文明、文化を携えていたようで最近の研究では世界の三代文明にも匹敵するレベルであるともいわれているようです。通常煮炊きをする土器に装飾などを施す必要もなく、あえてあれだけの文様を施す火炎土器などは、もはやアートの領域に入る作品だと思います。文化は生活が豊かで創作を楽しむ時間がないと育むことが出来ない。縄文時代はたぶん現代人が考える以上に治世や食べ物などに恵まれた、豊穣な時代だったのではないでしょうか。