最近インディゴのブルー・ジーンズを履く人がめっきり減ってきたという。さすがにジーンズが流行り始めて60年以上たつと、そろそろ飽きが来ても当然だと思う。しかしブルー・ジーンズは流行の栄枯盛衰をこれまで何度も繰り返してきて、すたれたと思ったらまた流行りだすボトムパンツのスーパーアイテムでもある・・・。団塊世代の我々はジーンズと共に育ったといってよい。記憶によればジーンズは戦後、進駐米兵が普段着として履いていた中古品を、バッタ屋が買い集め上野アメ横高架下の闇市に並べて売り始めたのが最初だと思う。当時のアメ横は小さな露天商が軒を連ねる闇市の名にふさわしい、いかがわしい雑然とした雰囲気の界隈であった。そこでは米軍の各種放出品や密輸品、軍服などが並べられ、通常日本では手に入らないレアーな品なども買うことが出来た。
ブルー・ジーンズといえば私はずばり寺内タケシ率いるエレキバンド、ブルー・ジーンズを思いうかべる。エレキの神様と呼ばれた彼はベートーベン「運命」のクラッシクから津軽三味線のジョンガラ節まで、幅広くエレキの楽曲にアレンジし人気があった。そして彼らの火付け役となったのはアメリカのエレキバンド、ベンチャーズである。そのアップテンポで乗りの良いサウンドは日本の若者を魅了し、エレキギターを自分でも弾いて見たいと誰もがあこがれていた。私も当然エレキギターを手に入れたいと望んだが、これがとてつもなく高額!アンプとギターのセットで20万円(当時日大の入学金が20万)もしたのだ。さすがに私も父親にエレキギターを買ってくれなどと、アホなことは言いだせなかった。
「この曲を聴くと自分は元気になる」という曲は誰でも2,3はあると思う。私の場合はあのエレキの名曲、軽快なベンチャーズサウンドのダイヤモンドヘッドとパイプラインである。二曲ともサーフィンの曲でダイヤモンドヘッドとはワイキキの浜辺から望める山の連なりの尖った先端部の通称で、サーフボードで沖に出てると目に飛び込んでくるらしい。でも東に面したワイキキビーチには余り高い波はやってこない。そこで大波の来るサーフスポットはなんと言っても、オアフ島北向きの海岸地域ノースショアである。ここでは低気圧の墓場といわれるベーリング海から常時大波が届く。そしてその大波が崩れ中が空洞になると、いわゆるパイプライン状の波を形成する。この中をサーフボードに乗って入って行く、イメージは膨らむが実際に私はサーフィンの経験はない。
我々が高校時代ファッションはVANのアイビールック。憧れの三種の神器はエレキギター、サーフボード、オープンカーといわれたホンダS6だが、これすべてが高額で手が届かなかった。
すいません。私のこのブログ、都合により10月中旬まで一時お休みします!ではまた次回。(勝田陶人舎・冨岡伸一)