アリス

「不思議の国のアリス」。幼い少女アリスが白いウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどと出会いながら冒険する・・・。今から150年ほど前にイギリス人のルイス・キャロルによって書かれた児童本の夢物語である。でも私が子供の頃には全く架空の物語だと思っていたが、最近では「いや、そうでもないらしい・・・」

皆さんご存知の般若心経のなかで「色即是空・空即是色」すなわち我々が生きている現実世界は実際には仮想で、仮想だと思っていた幻想の世界が実は現実であるという、凡人にはなんだかよく分からない仏教観が記述されている。しかし近年では仏陀が説いたこの概念が、真実として実感できる時代となって来たような気がする。テクノロジーの急速な進歩は、現実と幻想の境界をますます曖昧にしている。

「あんた、なに見てるのよ!」と覗き込む。先日我が家に遊びに来た、寝転ぶ孫の手元に注目。子供達も小学生になるともう年寄りなど相手にしない。各自が勝手に画像の中に入り込み、各々がモンスターと格闘するのだ。こちらも遊び相手などをせずにすむので楽でよい。そういう私も近頃は自宅にいるときは自室にこもり、殆んどの時間はパソコンやスマホを眺めている。外に出ると感染症の危険があるというので、ますます映像が友となる。

もう飛行機で物騒な海外などに出かける必要もない。スイッチオンのアイコンタップで何処にでも行けるのだ。先ほども懐かしいイタリアのベニスでゴンドラに乗る映像を見た。テレビ画面はますます巨大になり映像は鮮明になるばかりだ。子供の頃に小さな白黒テレビで見た「カネタカ・カオル世界の旅」ではリアリティなど全く感じなかった。でもその番組を見て海外に出かけることを夢見た。

もうすぐ5Gの時代がやって来る。するとより鮮明でクリアーなスクリーンを前にすると、身近な日常生活などまるでつまらない。リモコンタップで何処にでもいけるし「不思議の国のアリス」にもなれる。ますます広がるスクリーンの中の仮想空間。私にとってこの世界こそリアルという錯覚に陥る・・・。

(これもグイノミです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

“アリス” への3件の返信

  1. まさに仮想と現実の混沌とした時代を生きることになるのでしょう。コロナ禍がこのような時代の到来を実感させています。否応なしにコロナ後の世界の激変は加速される。
    コロナワクチンと生物兵器、セキュリティの脆弱性と情報戦争
    激化、デジタル元と世界覇権、専制主義の圧倒と自由主義の危機そして宇宙戦争など。嘗ての小説、映画、アニメ(漫画)の中の世界が、今や仮想でなく現実化している。

    枝葉末節にこだわった個人的な意見ですが、失礼をお許し下さい。
    般若心経「色即是空・空即是色」は大乗仏教の龍樹が説いた概念と捉えています。
    釈迦没後の数百年間の仏教分派の争いの中で、大乗仏教の龍樹によって一部釈迦の思想を否定しつつ般若心経「色即是空・空即是色」が説かれている。
    確かに『空』の思想は、古代インド哲学から始まり釈迦の思想の1つでもあるが、釈迦は因果律を出家者に説くこと(人間を苦から救済)に重きを置き、龍樹が出家者・在家の大衆に説く「色即是空・空即是色からマントラに帰結する」大乗仏教思想の『空』の解釈を、私は「釈迦が説く概念」とするにはためらいを感じます。
    こだわり過ぎをお許しください。

    1. 私は仏教にはあまり詳しくありませんが、確かに八木さんのおっしゃる通りだと思います。仏教にも色々宗派や概念があり、後の後継者により付け加えられたり、歪曲されたりと仏教の原理主義からすると大分違ったものもありますね。仏説「無量寿経」など、あえて仏説といわないと本当に釈迦の説いた教えなのか分からないお経も多々あると思います。我が家の宗派親鸞の説く浄土宗など「浄土門」なども仏陀の教えの拡大解釈の典型ですかね?

      1. 私も仏教に詳しくありません。興味本位なだけですのでこちらのブログに書かせて頂けて有難いです。
        釈迦は弟子数人のみに教えを口伝し、没後に口伝伝承を重ねた教えが、さらに時間を経て異国で多言語で経文として文書化された。伝言ゲームではないですが、色々な解釈があって当然かもしれません。また、うろ覚えで恐縮ですが「釈迦最後の旅」でしたか、弟子からある質問を受けて釈迦は、「私の教えは書き残して後世に伝えるものではない」、「私がいなくなっても真理の法は生きている。 自らを灯明とし自らを拠り所としなさい。 法を灯明とし法を拠り所としなさい」。 この言葉は、自分の死後リーダーが不在になったとしても、修行を続けていける方途を示したもの。現代の我々には「書物や人に頼り過ぎずに自分の修行の中で答えを探し見つけなさい」との言葉のように思います。自分の教えが縛りになることを避け敢えて口伝とした釈迦は、異論が出ることも全てお見通しだったのかも知れません。釈迦は偉大です。また、違った意味で親鸞は偉大です。例を見ない数多くの書物を書き残したこと。後世の私たちに大乗仏教・浄土門の教えを追求し実践した生き様と、独自の理解と解釈で数多くの文献を世に残し、生涯をかけて教えてくれている姿に釈迦を重ねます。私は、宗派が違えど人間親鸞が大好きです。

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