茶飲み話・洒落

「これって、洒落た茶碗ね!」などと茶碗を手に取り言われると、心の中で「うん、この人わかってる」と思わず口角が緩む。そして「よかったら差し上げますよ」などと簡単に口走ることも。後日「あの茶碗気に入ってたんだよな」と後悔の念も少し。でも喜んで使ってくれればいいや!と納得し、またロクロに向かう。

しかし考えてみればこの洒落(シャレ)の美意識とは何ぞや?と頭をめぐらす。そこでググルと、洒落とは気質や言動があか抜けていて、物事にこだわらないこと、当世風で粋なこと。そして洒落の語源は、長い間日光にさらされて白っぽくなるという「晒る(さる)」と、たわむれるという意味を持つ「戯る(さる)」同じ読み方をする二つの言葉が語源らしい。

若い頃から「カッコよく生きたい」と漠然と意識してきたので、物作りにおいても洒落た作品には引かれる。世の中の大半の人々は精緻な物、あるいは美しい物に魅了される傾向が強いが、すこし天邪鬼な私はこれら単純によさがわかる作品でなく、どこか未完成であるが泰然とした作品が好きです。「なにこれ」と人に一蹴されるような作品でも、実はそれなりの境地があることも。

誰にも理解されない事を独り楽しむ。たとえ自己満足であっても自分が気に入ればそれでよし!という割り切り。べつに茶碗作って生業にするわけでないので、気分は楽チンだ。お金もらって茶碗など作ると、細部の不具合な部分が気になったりするのだ。焼き物は最後の行程を火炎にゆだねるので、窯に入れたらもう修正はきかない。でもこれが陶芸の面白いところでもある。

いっしょう未完な自身が作る未完成な器で茶を楽しむ!もうここまで来ると先を急ぐ旅でもない。ゆったりと流れる晩年の時の経過のように、気の向いた時節にロクロを回す。そのうち何とかなるでしょう。もっと洒落た器も生まれるでしょうと前の森の梢を拝む。(床の間に我が家の宗祖・法然御坊の掛け軸を飾って導きを願う・・・。でも人生って、ほんまよう解らんわ!勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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