豆腐

「コンコン!」と勝手口のドアをノックする音がする。「たぶんまた豆腐屋だ、めんどくせえなあ」テレビを見ている居間の椅子から立ち上がり、渋々ドアを開けるとやっぱりいつも来る豆腐屋が立っている。「今日は女房が外出していないので、私には分かりません」と不機嫌そうに断る。それにしても週三回も御用聞きに来なくてもいいのではないか?と思うが相手も商売なので買えば売りに来る。でもおかげで私はいつも、納豆や豆腐を食べさせられている。「いいでしょう、納豆も豆腐も健康に良いのだから」と女房はいうが冷蔵庫には数日たった、豆腐や納豆がいつも残っている。順番に食べると作りたてを買うのに、結果古いものから食べる事になる。たまに自分のいる時ぐらい断らないと溜まる一方だ。

「なんていつも不機嫌なおやじだ!」事情をしらない豆腐屋はたぶんそう思っているに相違ない。母親や女房は御用聞きに来るといつも笑顔で必ず買っていた。それを見ていて私はなぜかよけいに腹がたった。「たまには断ればいいのになあ」と思うが「せっかく来るのに可哀そうだからと」これは我が家の昔から続いてきた伝統なのだとあきらめた。最近そういえば夕方に街で豆腐屋の姿をほとんど見かけない。家に来る豆腐屋でなくても、以前は街でよくラッパを吹く姿に出会った。個人商店がスーパーやコンビニに押され次々に廃業していくなか、最後まで残った砦であった豆腐屋も時代の波には勝てないのか?

我が家に来ていたその豆腐屋も10年くらい前に突然廃業した。おかげで最近では奴豆腐が食卓にあかる事が少なくなった。でもたまにスーパーに行って豆腐のコーナーを見ると、実に様々な種類の豆腐が並んでいる。これだけ揃っていれば、より取り見取りだ!なにも個人商店の豆腐など買うこともない。豆腐屋は(御用聞き)という訪問販売をしていたから、最近まで生き残ったのかもしれない。でも豆腐も大手が衛生管理を徹底し、機械化を推進して一箇所で大量に豆腐を作るようになっている。でもこうなると昔の手作り豆腐のヤッコが妙に恋しくなる。「味はどうだったけ」と真に勝手なもんだ!

炊き立てのご飯に冷たい手作り奴豆腐で一膳飯、これも悪くない。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

海軍カレー

いよいよ待ちに待った外環道が近日中に開通する!市川市の中央をほぼ南北に貫く、この道路は計画されてから半世紀近く経過する。日本が高度成長期に入ると車の台数が急激に増え、先に開通していた環七通りは渋滞による排気ガス公害と騒音が大問題となる。この状況を見た市川市民の多くが外環道の建設に大反対の声を上げた。これを受けて市長初め行政も反対に回り、この道路建設は事実上凍結されてしまう。しかし市川市の道路計画は外環道を中心に立案されており、他の道路計画も全く進まず、長い間市民は交通渋滞に悩ませられることになる。

「はい、おみやげ!」出かけていた女房がカレー好きの私に、海軍カレーのレトルトパックを手渡した。「横須賀に行ったのか?」私の問いかけに、「いや外環道の開通に先立って新しく開通した、道の駅で買った」という。なんで市川市の産物を紹介する道の駅に、横須賀の海軍カレーが売られているのか?良く分からないがカレー好きなので理屈抜き喜んで受け取る。いま道の駅はどこも大人気で、主な幹線道路沿いにはあちこちに道の駅が新設されている。トイレや休憩場もあり、ドライブインとして重宝されている。千葉県の道路事情はむかしは劣悪だった。主な幹線道路でも住宅地を離れるとどこも砂利道でボコボコ。ガラスや釘なども落ちていた。

「お姉さん!どうしたの?」トラックが止まり運転手が車から降りてくる。[パンクかあ、どれどれ貸してみな!」と工具を取り出し車の下を覗き込む、ジャッキを充て車輪を上げると、すばやくタイヤを交換してくれた。姉が礼を言うと、汚れた手をテヌグイで拭きながら笑顔で立ち去った。昭和35年頃まだ女性のドライバーは非常に珍しかった。女性でいち早く免許を取った長女は小さなスバルを運転していたが、道路はほとんどがまだ未舗装でよくパンクする。同乗者の私は子供なので車の事は分からない。でも姉は「パンクは直しは男の仕事でしょう!」と平然としていたのだ。

今の時代でも女性が幹線道路でパンクした車の横に立ったら、男が車を止め直してくれるのか?それ以前に今の車のタイヤはチューブレスで、パンクしてもある程度走れます。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

枝豆

アメリカ人も近頃の日本食ブームと共に、枝豆を食べる人が多くなってきたそうだ。アメリカの広大な穀倉地帯では大豆を大量に栽培している。でも実って枯れた状態で収穫し油をとるためや、家畜の飼料として主に利用しているので、食料としての大豆の意識は希薄だという。しかし来日して枝豆を食べた人が枝豆の旨さを知り、自国に帰って徐々に広めたらしい。最近ではアメリカのスパーでも枝豆を売っているのだと聞く。塩茹でにした枝豆はビールのつまみには最適であるが、日本では今では一年中冷凍の枝豆をスーパーやコンビニで、販売するようになったので枝豆はいつでも食べることが出来る。

「ええ、もう枝豆の季節か」先日、我が家の食卓に早くも採れたての枝豆が登場した。むかし枝豆はホタルが舞うころ現れ、ヒグラシが鳴くころ静かに消えていく、二ヶ月弱のはかない夏のオツマミであった。そしてちょうどこの時期盛り上がるのがプロ野球のナイター中継である。王、長島がいた巨人軍がとても人気があり、誰もが野球の放映を見ていた。読売テレビの7時からのゴールデンタイムには必ず巨人の野球中継をする。「昨日の王の逆転ホームラン良かったよね」などと翌日には挨拶を交わすので、見ないと話題に困る。そこで中継を見ながらの夕飯になるが、まずはその前にビールと枝豆だ!枝豆は箸を使わないので、テレビに注目していても落とす心配が無い。また落としてもただ転がるだけで、床が汚れないので助かった。

「もし枝豆のサヤに豆が一個しかなかったら?考えただけでもこれは問題だ!」めんどくさいので、野球中継のオツマミには向かなかったのではないか?サヤに2,3個豆が付いているので、南京豆より器に手を伸ばす頻度が減ってよい。私の感覚では枝豆のひとサヤの理想は豆3個、三個だと食べやすいしサヤの形も非常にバランスよい。「この紙に枝豆を書いてください」とお願いしたら、ほとんどの方が三個の枝豆の絵を描くのではないか?一個では枝豆に見えない、二個では寂しい、四個ではうるさい。ビールと枝豆のセットこれは日本だけでなく、いつか世界中に広まっているのかもしれない!海外に住んで夏場バールで日本人友だちとビールを飲んでいると、「ここに枝豆があったら最高だな」と彼は呟いた。

夕方ツマミの枝豆にジョッキでビール一杯。エンジェルス大谷選手の試合を、この時間に見られたら最高なのだが!

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

ローストチキン

私がまだ5歳ぐらいの頃であったか?市川市本八幡の映画館に両親に連れていってもらたった事がある。その時代の映画は全てが白黒画像でまだカラーという言葉もなかった。「総天然色!どんな映画なんだろう?」両親も興味があったのであろう、普段はあまり一緒に同行しない夫婦が、その時は私も連れて映画を見に行くことになった。その映画館で初めて放映された総天然色映画は、アメリカの洋画でその美しい画像には感激したが、内容は若い男女のラブロマンスだったと思う。「ええ、なんでアメリカ人はあんなことするのか?」たびたび登場する始めて見るキスシーンには照れくさく、子供ながらに非常に困惑したのをおぼえている。

映画の内容は断片的にしか憶えてないが、まず若い男女が真っ赤なオープンカーに乗り郊外にドライブに行く。車が視界の開けた広い緑の高原に出ると二人は車から降り、木陰に陣取りランチの用意をする。シートの上に腰をおろし持ってきたランチバスケットの蓋を開け食べ物を取り出した。まずはサンドイッチ、[おおー、旨そう!」次に取り出したのが、鶏のモモのローストチキンだった。これの足を持ってガブリとかじりつく、「ううん、もうだめだ完全にノックアウト」状態になった。総天然色なだけに映像が恐ろしくリアルで、空腹を抱えた子供には刺激的である。まだ戦後の食糧難の時代、このシーンは私の脳裏に深く焼きついて離れなかった。

いつか自分もローストチキンの足を持ち、モモを「ガブリ!」と丸カジリしてみたいと思い続けた。でもその夢がかなうのはそれから大分後のことである。時代も進むと日本でもクリスマスなどにはローストチキンのモモが一般家庭でも、一人一本食卓に上がることも珍しくなくなる。自分の子供世代になると始めは喜んでいた鶏のモモもいつしか手に取らなくなり、孫の代では見向きもしない。私が小学生のころ親が結婚式に呼ばれると、引き出物に料理の折り詰めを貰ってくる事もあった。その中にローストチキンも入っていると、喜んで一本のモモを子供達4人で分けあって食べた。でもその時ばかりは、一人っ子がとても羨ましく感じた。

旨い食べもに執着していた幼年期を送ったせいか、何をどこで最初に食べたかの記憶がいろいろある。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

塩鮭

大きな黄銅色のアルマイト製の弁当箱にビッシリ詰まれたご飯の上に、ベッチャリと鮭の切り身が一枚乗っただけの美しい鮭弁当!(アルマイトとはアルミニュームの表面を強くするために陽極酸化皮膜を作る処理という。弁当箱やヤカンに良く使われていた)これはむかしドカベン(土方の弁当)と呼ばれ力仕事をする労働者の定番弁当であった。冷凍設備もろくにないこの頃の塩鮭は、保存のためとても塩が濃い。焼くと鮭の切り身から塩が白く粉を噴く。塩が多いので夏場、鮭をご飯の上に乗せると腐りにくく、同時に塩分も取れるので汗をかく仕事師には最適であったのだ。

「おかあちゃん。これって鱒じゃないの?」そもそも魚嫌いであった私は、油っけの無いパサパサな鮭の切り身が子供のころ食卓に並ぶと、こう言って母親に難癖をつける。当時私の認識では切り身が大きく油の乗っているのが鮭、切り身が小さく油が無いのが鱒と単純に感覚で区分けしていた。(海で取れるのが鮭、淡水の湖や川で取れるのが鱒と思っていた)この言葉を真に受けた母親は翌日魚屋に行くと「昨日の鮭!あんたが鮭だというから買ったのに、これは鱒だと息子が怒っていたよ。だって油が無かったもん」と文句を言う。すると魚屋は「いや、あれは鮭です」と断言したというのだが、鮭と鱒の違いがそもそも良く分からなかった。

今話題の大谷君が大リーグのエンジェルスに移籍して大活躍している。日本人としては嬉しい限りだが、同じチームにトラウト(鱒)という名の好打者がいる。「トラウトか?だったらサーモンという名の人もアメリカにはいるかもしれないな」とかってに想像しながら野球中継を楽しみに見ている。アメリカでは川で取れるのがトラウト、海でがサーモンと呼んでいるというのだが日本では樺太マスなど、海でとれてもマスと呼んでいることもあり明確に分けてはいない。元来サケとマスは種としての違いは無いらしく、ネットで調べてもいまいちはっきりしない。ドカベンといえば水島新司の野球漫画が有名で「週間少年チャンピョン」連載され一時非常に人気があった。

写真の器は工房の会員、橋本美智代さん作。形が面白いので掲載しました。ここに鮭の切り身を乗せたいそうですが、鯛の刺身でも良いのでは?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎