菜っ葉

「わー、すげえ!あんなに荷物いっぱい、担げるのか・・・?」かつて京成八幡駅から9時頃ローカル電車に乗ると、一番後ろの車両は一般人が乗車できない行商専用車両であった。成田方面から来る農家のおばさん達が、野菜やオモチ等を大きな籠やダンボールに詰めて東京方面に行商に行く。仕切られたカーテンの隙間から後部車両を覗くと、歓談しながら飲食したりとても楽しそうだ。電車が江戸川を越え東京都に入ると、それぞれ停車駅ごとに身支度を整えた数人が重い荷物を担ぎ徐々に降りていく。それにしても凄い荷物の量だ。体重50キロ位のオバアチャンが自分の体重の重さはあるだろう、荷物を担ぎ上げて平気で歩いていく。

オバアチャン達のテリトリーはほぼ決まっていて、それぞれ馴染の客がいるらしい。この行商は関東大震災の後から始まったらしく、もうかなりの歴史があるようだ。焼け野原の都心にモンペをはいて割烹着をつけ野菜を背負い届ける。この重要な役目はそれから数世代継承されてきた。車のまだほとんどない当時はこの京成電車が唯一の輸送手段であったのだ。宅配などが発達し必要性が減ってもオバアチャン達はずっと野菜を運び続けていた。でも最近気がつくと見かけないので、調べて見たら5年前に廃止されたらしい。「非常に残念だ、あれは千葉のローカル文化だったのになあ」はたから見ているとオバアチャン達は大変で可哀そうだと思っていたが、人との触れ合いを本人達は意外と楽しんでいたようだ。でもさすがに皆さん歳をとり、後継者などもいるわけがない。

京成電車はこの通称「菜っ葉電車」のおかげで、千葉の田舎電車とからかわれて来た。でも菜っ葉電車がなくなって、その泥臭いイメージが変わるのであろうか?しかし最近特急電車に乗ると大きな荷物の菜っ葉オバアチャンは消え、成田空港から都心へ向かう大きなスーツケースを引きずる、たくさんの外国人で混む国際列車だ。千葉県生まれで千葉県育ちの私としては、「落花生と酪農の田舎ちゃん!」この千葉県民のイメージ、好きだったのになあ・・・。交通機関や情報伝達網が整備され全国的に時間差や地域差がなくなっていくと、何処に行っても変わらない。それでは全く面白くない。東京都の隣に位置するが「チバの女がチチ搾り!」といわれ、酪農県の田舎者と馬鹿にされるぐらいのローカル性、大切にしたいですよね!

子供の頃、我が家には近くの農家のおばさんが、リヤカーを引き野菜の行商に来ていた。ところが周辺が宅地開発されると皆さん金持ちになり、離農していった。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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