茶飲み話・松

 

「えー、いつからこんな所に永井荷風の石碑が置かれていたんだ!」とびっくり。散歩のついでに頻繁に通う、近所の氏神様の白幡天神には参道横にひっそりと荷風の小さな石碑が置かれている。何故今まで気が付かなかったのか不思議?あらためて自身の注意力の無さに肩を落とす。たまには目線を下げ周囲をよく観察すべきなのに、上空の木立ばかりに目を奪われていたらしい。

その石碑には「松しげる、生垣つづき華かおる、菅野はげにも美しき里」とある。荷風は晩年、私の住む自宅の近くに居を構えていた。そして数度幼児の頃に荷風と遭遇した記憶がある。背が高く茶色のマントを身にまとい、風を切って大股で闊歩する彼の姿はなんとも印象的であった。道を横切るその姿に、隣を歩く母が「伸ちゃん、シンちゃん。あの人が永井荷風だよ」と私にせわしく告げた。

しかしその菅野の里も高度成長期に入ると、東京のベットタウンとしての開発が急速に進み大木は次々切り倒された。現在ではその面影をたどる形跡も殆ど消え、脳裏に留まる残像として記憶するばかりだ。一時は行政も松の巨木を保護する活動を始めたが、時代の波に抗することは出来なかった。もし現在でもあの松林が残っていたら鋭敏な荷風の顔も緩んだに相違ない。

また市川市の松の美しさを詠んだ人に脚本家の水木洋子さんがいる。「ひめゆりの塔」「純愛物語」などシナリオ作家として知られた彼女は、戦後市川市の八幡に住んでこの地で亡くなった。彼女は「八幡は良い所です。駅を降りると、海の大気が感じられて、住宅前の掘割で蛍が光っていたんです。訪ねてきた知人は私の家の前の松並木を見て、鎌倉のようだと感嘆していた!」と綴る。

「そうなんですよ」私が子供の頃の市川は本当に風情のある所でした。私が好きだった菅野駅などは鎌倉江ノ電駅のようなたたずまいで、林の中に溶け込んでいた。青春時代には駅前の喫茶店で作家志望の友人とよく文学語りなどをしていたが、今ではその面影を偲ぶことも出来ない・・・。(地下には外環道が通りロータリーも作られ、綺麗に整備されたのですが。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・SP500

 

「陶芸家のブログなのに、何で最近は経済の話題が多いの?」と先日妻から指摘された。「確かにその通りだ」。でも混乱する世界情勢下で、のんびりと作陶だけに専念するわけにもいかないのだ。世の中のトレンドを追い続け、未来予測などが好きな私はそもそも平凡な日常を好まない。いつも新しい話題など探しネットサーフィンしている。

私は経済学部出身なので、若い時から経済については色々興味を持っていた。特に父親の影響もあり、楽して金が儲かりそうな投資家になるのも悪くない!などと勝手に思いを巡らす。そして経済的に余裕の出始めた30代から株式投資を始めて、ある程度の額を貯めた頃、あのバブル崩壊がやってくる。そして友人の勧めに乗り、ゴルフ会員権買って1400万円ほどを溶かした。

でもこれは私だけでなく、同世代の多くが経験した事案だ。そしてそのご日本は長いデフレの時代へと続き、安倍政権の誕生まで株式市場は低迷する。その間、投資に懲りた日本人の多くは金利が付かずとも銀行預金で虎の子を守った。なんとその額は現在2000兆円という膨大な金額なのだ!そこで滞留するこのマネーに目を付けたのがアメリカで岸田首相をそそのかし、ニーサ枠拡大でアメリカ株を買わせる戦略に出てきた。

「SP500などいかがでしょう!」いま証券会社に行って新ニーサ口座を開設すれば、まず薦められるのが米株やこの米株投資信託である。確かにSP500は20年間上が続けているが既に割高である。高いところを素人の日本人に買わせ彼らは逃げるつもりかも?有名な投資家バッフェットなどは最近米株を売却し、日本株を買い暴落に備えている。

そうして株式投資では個人の8割がいつも損をする。彼らはブームになった高い時に買い。暴落したとき怖くなって売る。日本が成熟社会から少子化などで衰退している現在、一般的には実所得は増えない。代わりに年金など社会負担費は増加するばかりだ。すると皆さんこれから藁をもつかむ気持ちで株式投資などに向かうと思う。(でも困ったことにインフレや円安で最も怖いのは株ではなく、目減りし続ける現金かもしれない。勝田陶人舎冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・八百万

 

最近歳を重ねたせいか神社に詣でることが多くなった。でも目的地を決めて遠距離を移動するのではなく、地元にある社を散歩のついでに参るのである。時代をさかのぼると、我々が子供の頃は神社の広場や鎮守の森は子供たちの絶好の遊び場であった。でもその神社も時と共に整備され、周囲を塀で隔てるようになり社に上がる子供の姿を見かけることもない。

「日本人は無宗教!」という定説がある。しかしそれは違うと思う。日本人の精神の根幹にある神道には教義がない。日本人の宗教心は言葉などの論理ではなく、もっと魂から湧き上がる霊的な感情である。神が宿るとされる美しい大自然を前にし、畏敬の念を感じ素直にこうべを垂れる純な姿だ。すべての生き物は自然から生まれ、そして自然の中に消えていくという摂理に基づいている。

いっぽう世界の三大宗教などは殆ど砂漠の荒野から誕生している。そのため日々食糧や水が不足する生活は厳しく、おのずとして厳格なルールの下で生きることを強いる。その様な環境で生まれる宗教の神は人々の生活様式まで規定し、それから外れれば神の怒りをかうという。特にイスラム教などは一日5回のお祈り、アルコールの禁止、女性の身体の露出など制約が多い。

いま世界の三大宗教の聖地でもあるイスラエルではパレスチナとの間で激しい戦闘が起こっている。原因は居住地をめぐる宗教対立である。他の神を認めない一神教どうしの対立は非常に過酷である。どちらかが完全に敗北し撤退するまでその戦闘は続く。すでにイスラエルの攻撃で3万人もの民間人が亡くなっているが、その戦争が終わる気配はない。

「なぜ日本人は他者に敬意を払い寛大なのか?」いま来日する多くの外国人の間で不思議に思われている。そして彼らから「全ての国の人が日本人の行動をを見習えばもっとお互い平和に暮らせる!」との声も上がる。その主因は日本の教育によるところが大きいが、根幹は神道の理念によるのではないか?戦争の絶えない今こそ、全てを包み込む八百万の神に感謝したい。(写真・近所の白幡天神社のしだれ梅。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

茶飲み話・日経平均

 

「日経平均が連日高値を更新!」とのニュースが躍ることが多くなった。世の中そんなに景気が良いのですかね?と庶民感覚では思うのだが、株式の上昇は世の中の景気と必ずしもパラレルしない。「不景気の株高」という言葉もあるように株は景気よりも金利動向に左右される。今の低金利では銀行に預金しても殆ど金利が付かないので、株式に資金が移動する。

そこに今年から新たに導入された新ニーサが始まると、その導火線に火をつける。そもそも日本人の金融資産は2千兆円という巨額な額なので。その3パーセントの60兆円が、日本の株式市場に新たに投入されれば大変な事になる。日経平均は4万円どころか10万円になってもおかしくない。すると株式を保有する人と持たざる者との間で資産格差が広がる。

そもそもこの原因を作ったのは岸田さんが昨年の春の掲げたニーサ枠拡大法案である。積み立てニーサを除くと年間240万円の株式購入分が非課税となる。そしてそれは毎年続き1800万円まで無税なのだ。投資家にとってはこんな有難い法案はない。消費税など多少上げてもこのメリットを享受できれば御の字である。私のブログではこれを当時真っ先に取り上げたと思う。

投資で勝つためには常に人々の動向の1歩先を読む必要がある。人より先に市場に入り人より先に抜けることだ。だから理想的には今現在すでに株式を保有している必要がある。でも個人的にはこれから入ってもまだ遅くはないと思う。今回の相場は大きく膨らむ可能性もある。そしてずっと我慢をして最後にあおられて株を買った人が、ババをつかむのだ。そのタイミングは日銀がマイナス金利を解除し、金利を上げ始める頃かも?

いずれにしても日銀が紙幣を刷りまくりお金がジャブジャブなので、都心の地価、株式、貴金属などのタンジブルアセットは長期的には上昇する可能性が高い。いつもこのブログで書いているように、所詮今後は乗るも地獄、乗らぬも地獄、悪魔の選択を迫られるバクチ時代なのだ。グットラック!生き延びてください、あなたに幸運を。(ちなみに私の資金配分は安全を考慮し半分を貴金属、現金と株式を25パーセントづつです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・桐島聡

 

長い間逃走していた桐島聡容疑者がついに逮捕された。彼は東アジア反日武装戦線と名乗る極左暴力集団のメンバーで、三菱重工ビルなどいくつかの爆破事件を起こし、8人もの死亡者を出す罪で半世紀にもわたり指名手配を受けていた。海外に逃亡し、日本には住んでいないと思われたが意外なことに神奈川県に潜伏していたというので驚きだ。

でも彼は末期ガンを患い救急搬送された病院で実名を明かした後に、すぐ危篤になり死亡してしまった。そのため当時の事件の詳細は分からずじまいで、この事件は消滅する。50年近くたった今でも彼の指名手配書は駅や交番の掲示板に張られていたので、追及の手をゆるめない警察の強い執念を感じた。現在はこの手の事件に時効はない。

「欧米の資本主義を直ちに粉砕し、共産主義国の樹立を!」と多くの若者が叫んでいたのが1970年前後である。大学生であった我々団塊世代の多くはソ連や中国などの社会主義国が理想だ!という教育を受けていたため、それを信じて過激な行動に走る若者もいた。私自身も当時は心情的に共産主義に憧れを抱いていたのも事実である。

この背景には日本が太平洋戦争でアメリカに負け無条件降伏をしたため、自由と民主主義という名のもとに、アメリカ人の価値観に従うことを強要される。これにより長く続いてきた日本古来の伝統文化や思想は全否定され、日本人は思考回路を失う。この空白に入り込んだのがマルクスの標榜する共産主義思想である。

この思想には高学歴な知識人ほど共鳴したため、学校の教職員が日教組という組合を創設し、生徒たちに左翼的思想を啓蒙した。すると教育とは恐ろしい!当時の多くの若者が共産主義を理想とするようになったのだ。そして一部の若者は暴力で日本を共産主義に変えることに奔走し、桐島聡容疑者のような過激な行動をとることになる。(半世紀も前の話で記憶も薄れたが、桐島もまた戦後教育の犠牲者でもあるのです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

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