クワイ
「クワイ、安いよ、安いよ、ねえー、クワイ買っておくれよ!」土手の上で元気よく通行人に声をかける。この通りは遊郭吉原に向かう道でいつも人通りが多い。ときどき浅草から吉原まで遠征し、農夫の目を盗んでは下の田んぼから勝手にクワイを掘り出し、並べて売って小遣い銭かせぎをするという。実はこの声の主は私の祖父である。祖父が子供だった明治初期、浅草寺裏手奥の吉原の回りはまだほとんどがクワイ畑などが広がる湿地だったとか。雷門の前に住んでいた祖父は幼児期からやんちゃで、いろいろなエピソードが語り継がれている。
7歳頃には頻繁に祖父の父親に「酒を買って来い」と使いに出されたという。当時酒は量り売りなので、三合徳利を持って酒屋に行くと顔見知りの店主に「おじさん、まけておくれよ!」と必ず頼むそうだ。そしてその帰り道に、そのまけてもらった分は自分で飲んでしまうという。当時の事で学校の規則を守らず小学校を退学になると9歳で家業に弟子入りする。そのご自分が後をとり成功すると日本酒の大樽を家に置き朝2合、昼3合、夜5合、一日に一升の酒を飲んでいたと言うから、私の酒好きなどまだ可愛いものだ。酒がないと手が震えて仕事が出来なかったそうで、完全なアル中である。
飯はほとんど喰わず、「酒は米で造るので食べなくても大丈夫だ」と言っていたいそうだが、深酒がたたり51才で亡くなった。平均寿命がどんどん長くなり人生百歳の声も聞こえる昨今では早死にである。その代わり昔の人は我々から比べるとみな早熟だと思う。祖父の二十歳、父の二十歳、私の二十歳、子供の二十歳。孫の二十歳、を世代ごとに比較をする、と同じ歳のイメージはどんどん幼くなっていくような気がする。人生太く短く、細く長く、でもその内容量が同じでは、長生きしてもつまらない。ゴム紐に目盛りをつけ引っ張るとどんどん伸びていく。しかし容量は変わらないただ長く伸びる人生では寂しい。内容や楽しみも倍にしたいものである。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)