カービン銃
じっと目の前に置かれたカービン銃を見つめる。ちょっと触ってみようかの衝動にかられるが、「急に奴が戻ってきたらまずい!」車窓の外は真っ暗で時々明かりが後方に飛んでいく以外なにも見えない。今どこを走っているのか分からないが、いずれにしてもドイツ国内のどこかだ。午後2時半にパリ北駅からスエーデン、ストックホルム行きの国際列車に乗り込み、6人部屋のコンパートメントの中で一人ボーっとして過ごした。途中で何人かの人が乗り込んできたがまた降りて行った。フランス国境で簡単な入国審査をすませ列車がドイツにはいり、しばらく進むと初夏の北ヨーロッパの長い陽も落ちだんだん暗くなっていた。
列車が名もない小さな田舎町の駅に止まるり、ぼんやり外を見ていると突然カービン銃を肩に下げ軍服を着たアメリカ人が、コンパートメントのドアを乱暴に開け乗り込んできた。彼は言葉を交わさず軽く会釈し、私の前を通過して対面の窓際の席に座った。列車が走り出しても相変わらず彼は無言でただ暗い外を眺めていたが、その短髪の横顔はどこか若き日のスティーブ・マックインに似てなくもないと思ったりもしていた。すると彼は突然立ち上がり、何も言わずにカービン銃だけを残し座席を離れいったのだ。多分トイレに行くんだろうと最初そう思っていたが、もう一時間余り戻ってこない。「まったくこんな銃など置いていきやがって、どうしようもない奴だ」と銃を眺めていた。
たぶん弾丸は装填されていないのだろうが、銃が目の前に置かれていると非常に不気味だ。じっと見ていると「我々は共産主義革命戦士、資本家と戦う人民解放軍だ、銃を手に戦うぞ!」と全共闘から武力闘争に進んだ赤軍派のアジ演説など変な妄想が次々に頭をよぎる。彼が戻ってこなかったらこの銃はいったいどうなるんだ。スーツケースに隠し,持って逃げるか!とも思うがスーツケースに入る長さではない。するとドアが開きやっと彼が戻ってきた。そして列車が徐々に減速し駅が近づくと、彼は簡単に身支度を整え無言のまま降りて行った。「ああ、よかった、やっとこれで安心して寝られる」明日のことなどを考え座席に横たわったが、今後の事などさっぱり予想できなかった。
これはもう50年近くも前の話だが、先日もアメリカの学校で銃撃事件があり何人かの生徒が死んだ。日本人とアメリカ人では銃に対する意識がかなり違うのだろう。アメリカではこのような軍人の銃に対する行動も、日常的な事なのかもしれないと思うと恐ろしい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
流行
流行
「来シーズンのスカート丈はミモレです」などとパリコレのファッション情報がマスコミにのると、来年流行るブーツはショートなのかロングなのかが検討され、私のいた靴業界でもそれに向けて生産準備をしたりした。しかし最近ファッションに対する人々の意識が急速に変わってきている。以前のように今シーズンに何が流行るのかなどの話題がほとんど出てこない。流行に興味が無くなったのか、それとも時間やお金に余裕がなくなったのか?原因は様々であろうが女性が衣料に支出を控えるようになったのは事実である。改革開放のあと賃金の安い中国に生産拠点を移すと安く衣料品が輸入され、国内の縫製工場などのほとんどが廃業して行った。すると海外で生産するユニクロなどのファストファッションが大きく台頭してきて、そこそこ質の良い衣料品が廉価で買えるようになった。
以前は大手繊維メーカーでも新しく開発した特殊な繊維などは、まずは知名度のあるブランドメーカーに供給され、高い値段で売る戦略をとっていた。しかし近年ではヒートテック、エアリズムのように東レが新製品を最初からユニクロと提携し、安価で大量に市場投入するようになってきている。消費者の立場では大歓迎だが、良いものを丁寧に作ってきたブランドメーカーには死活問題になった。大手同士が組んで今までにない新しい機能の服などを大量に安価で売ったら、それ以下の一般企業の生きる道は殆どないといってよい。
このようにアパレル市場は一部の欧米の有名ブランド品を除くと、どんどん寡占化され何社かのザラ、ユニクロ、ギャップなどのグローバル企業に独占されつつある。メルカリなどを利用して中古品を安くネットで探したり、服にお金をかけないが、皆と同じものを着ることに抵抗を感じる若い人は、古着を自分でリメイクしてオシャレを楽しんでいるという。先日あるデパートで古着のコーナーを新設したと聞いて驚いた。デパートで古着を売るようになったらもうアパレル業界も終焉である。デパートは江戸時代から女性の着物を売ることで売り上げを伸ばしてきたが、女性がアパレルから関心が薄れると衰退するいっぽうである。
何年か前まではバレーシューズと証して、カッターシューズが流行ったこともあったが、今では婦人靴も新たなトレンドも見当たらない。写真は自作の陶器の靴です。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
御御御付け
御御御付け
我が家では子供の頃、味噌汁のことを御御御付け(おみおつけ)、あるいは御付け、(おつけ)とよんでいた。あるとき母に味噌汁と言ったら、江戸では味噌汁とは言わない(おみおつけ)と言いなさいと注意されたことがあった。母が言うには味噌汁では田舎臭くイメージがおいしそうでないし、濁った感じなので江戸っ子には粋でないと言うのだ。母親は亡くなるまで味噌汁という言葉を使わなかったが、我々の代になるといつ日か、一般的に使われ始めた味噌汁という呼び名に変わってしまった。千昌夫の「かあちゃんの味噌する飲みでえなあ!」のあの言葉で決定的に東北文化に侵略されていったのか、今ではオミオツケと呼ぶ人は少ないようである。
ところで我が家では昔、アサリ戦争というのが勃発したことがあった。我々夫婦は結婚してしばらくは離れて生活していたが、両親が歳とってきたので同居を始めた頃の話し。私が仕事から帰ってくると妻が不機嫌な顔をしてこう私に言った。「こんや、夕食にアサリの味噌汁を出したら、おかあさんに注意されたのよ。アサリは味噌汁でなくお澄ましでしょう、あんたこんなことも知らないの?」と言われたというのだ。確かに我が家ではシジミは味噌汁、アサリ、ハマグリはお澄ましと決まっていてアサリの味噌汁など飲んだことがない。
一方妻の家ではシジミ、アサリは味噌汁、ハマグリはお澄ましだったという。私の母親が言うにはシジミは川でとれる。生臭いので味噌仕立て、アサリ、ハマグリは海でとれるのでお澄まし、これ江戸の常識だと言うのだが、妻も負けてない「私の母は東京生まれで家業はそこそこのグレード料理屋、そこで育った母がそんなこと知らない分けがない」と一歩も引かなかった。そのた味噌汁に入れる味噌なども地方により大きく異なるので、旦那の出身地が白味噌で奥さんが八丁味噌ではどちらかに不満がでる。皆さんのご家庭ではいかがでしょうか?私はどちらでも良いが、今ではもちろんアサリは味噌仕立てでいただいています。
朝食が和食の時代、味噌汁は毎日飲んでいたのでこだわりがあったが、一ヶ月に数度ではそのこだわれも薄れる。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
割烹
割烹
かつて静岡の婦人靴メーカーに、月に一度デザインの打ち合わせに行っていたことがある。仕事も終わり夕方になるとメーカーの社長が出資していた繁華街の割烹料理屋に、ときどき飲みに連れて行ってもらう。店に入りカウンターに腰掛けるといきなり「冨ちゃん、亀食うか?」と聞かれので「はい」と答えた。私は亀は初めてで社長の進めに素直に乗ることにした。亀とはスッポンのことで養殖場のある浜松に近い静岡では、東京より食べる頻度も多いとか?以前からスッポンの料理方には、非常に興味をもっていた。赤坂の柳原料理室に通っていた時に柳原一成先生が「ここではスッポン料理は危険なのでいたしません」断言したので、「スッポンはそんなに危険なのか?」興味を持ってた。
そこで板さんに頼んでカウンター越しに、サバキ方を見学させてもらうことにした。最初まずスッポンをまな板の上に逆さまに寝かす。するとスッポンは起き上がろうとしてその長い首を伸ばしてくる。そこでその伸びた首を包丁ではねるのだ。次にスッポンを手で持ち、首を下に向けると水筒の様に鮮血がしたたり落ちる。それを小さいコップで受け取り度数の高い焼酎で割る「はいどうぞ、元気でるよ、冨ちゃん」板さんに急に手渡されたが、固辞して社長にパスした。「飲んでみれば良いのに」と社長も言ったが。以前にスッポンの鮮血にはジストマ菌がいることもあると聞いていたので、興味はあったがやめておいた。
でもスッポンは鍋にすると非常に美味い。油もあり身がプリプリでコラーゲンたっぷり、滋養強壮で美容にも良い。そして最後に食べる雑炊もまた格別だ。しかしなぜスッポンには甲羅が無いのか?性格が荒く非常に攻撃的なので、ディフェンスの亀と違いオフェンスのスッポンは、甲羅で身を守る必要が無く退化したらしい。でも背中の肉の中には薄い甲羅の骨が残っている。子供の頃「池や沼でスッポンを見かけたら絶対に近づくな」と注意されたが実際にスッポンに出会うことはなかった。スッポンに噛まれたら雷が鳴るまで絶対に離さない!との通説があるが、いずれにしてもスッポンは歯が鋭く噛まれたら大変だ。
写真は自作の皿と箸置きです。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
コノワタ
コノワタ
「こんな気持ち悪い生き物、最初に食べた奴はえらい」ナマコ酢を箸で取りシゲシゲ眺める。でもナマコ酢以上に不思議な食べ物は海鼠腸(コノワタ)ではないだろうか?コノワタ(海鼠腸)はウニ、カラスミとならんで日本食の三大珍味であるという。コノワタはナマコの内臓で一匹のナマコからタコ糸くらいの細い管が一本しか取れない。それを集めて塩辛にするには沢山のナマコが必要で、値段も非常に高い。私も今までに一度しか食べた記憶がなく、味もはっきりとは覚えていない。日本酒に合うとされるが、私はカラスミの方がまだ値段も安くマシだと思う。
30代の頃、海外のファッション動向を視察するために年に一度はパリを訪れていた。何人かでツアーを組んでいくわけだが、昼間は各々の仕事の都合で別行動、しかし夕食は数人で出かける。するとその中には日本食しか食べられないという人が必ずいるもんだ。しかたなくパリの日本食レストランを探し出し、そこに行くわけだ。私は好き嫌いもなく、現地主義なのでその国の料理が食べたい。でも一人での食事もつまらないので同席することになる。当時パリではまだ日本食レストランも少なく値段も高かった。しかし日本人が経営しているパリの日本食レストランに入るとそこは別世界、ウエイターも日本人で客も殆ど日本人だけ、確かに気が楽である。料理も刺身から天麩羅まで種類もあるが、連れの一人メニューであるものを見つけ注文した。
その言葉に私は一瞬、唖然としたのだ。「俺はコノワタ!」確かにメニューの下のほうにコノワタと書いてある。でもここのメニューには値段の表示が無い。「スーさんパリでコノワタですか、何かほかにないの?」口に出そうになったがぐっとこらえた。結局この日も会計は割り勘で、コノワタの値段はついに分からずじまいだった。帰りがけに「スーさんパリのコノワタの味いかがでしたか?」と聞いてみた。「うん、今まで食べたうちで一番美味かったよ!」でもこの話、そのご我々業界人の間で尾ひれがついて話題になった「パリまで出かけコノワタを食ってきた奴がいるんだってさあ、日本では経験したことがないくらい美味かったらしい」落語の目黒のサンマである。やっぱりコノワタはパリにかぎる。お後がよろしいようで!
写真のお皿、大きい方はカラスミ、小さい方はコノワタでどうか?でも残念中身が無い!(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)